これまでの日本を、社会を守ってきてくださった御高齢者の皆様へ、感謝と敬意の念を決して忘れずに、これからの人生で、今まで以上の生きがいを見つけ出せる環境作りのお手伝いを行い、皆様が楽しく暮らしていける街であること。
未来を担う子供たちが、数多くの選択の機会に恵まれ、何ら恥じることなく、誰にも笑われることなく夢を語ることが出来る街であること。
家事や育児と仕事の両立など、古い柵や慣習の中で悩む女性達や、社会的弱者が自分らしく生きることを当然に社会が支える街であること。
これらの事が大切であることに何ら疑いもなく、むしろ、これらの実現を目指さない社会に何の魅力もないと断言できます。
しかし現実に、今現在この実現を支える現役世代の、夢を語る言葉を見かけることは殆どありません。
これまで日本的雇用慣行の特徴とされた終身雇用は過去のものとなり、グローバルな競争社会の中で雇用環境は年々その厳しさを増しています。
今ですら見通しのつかない老後を支える年金制度が自分たちの時代にどのような形になるのかなど見当もつかず、明日の見えない不安感に苛まれ、日々の仕事に追われている。それが現実ではないでしょうか。
子供たちが胸を張って夢を語れる世の中であるためには、その親が胸を張って堂々とその言葉を受け止め、今を、未来を語れる世の中でなければなりません。
現役世代が今を誇りに思い、上を向いて歩いて行ける、そんな社会であるべきではないでしょうか。これが実現できてはじめて、理想の社会の土台作りが出来るのだと、私は考えています。
全ての世代で未来(ゆめ)を語ろう。それができる社会であろう。そんな想いを私は皆様と共に目指していきたいと思っています。
各地で地方議会の在り方が問題となっています。それぞれの地方で形こそ違いはしますが、問題の本質は地方議会の「質」の問題ではないでしょうか。
「議会の仕組みや役割が見えない。」「議員が何の仕事をしているのか分からない。」
そう言った声が上がる中で、議会不要論や、長が提案する政策に賛成のみを行う議会を作ろうとする行動が起きることは、事の良し悪しはともかく自然の流れであるのかも知れません。
しかし、憲法は第93条において二元代表制を明記しております。
このことは、住民が長と議会議員を直接選び、その両者が互いに行政について常に真剣に議論し、監視し、点検し合う必要があることを意味していると考えられます。
議会は決して長の追認機関ではありませんし、そうあってはなりません。
逆に、イデオロギーや政党の違いのみを前面に押し出して、やみくもに長の提案を反対し続ける機関であってもならないはずです。
議会の使命として、長の提出する案に反対するのであれば、議員自らが対案を提出できなければなりません。
議員や議会の真の役割や責任は、決して一時の流行で語られるような軽いものではなく、地方自治を考えるとき、正に「かなめ」となるべき重大なものであると私は考えております。