さかき朋之 オフィシャルホームページ
活動報告
市議会関連
2015年05月01日
春日北中・春日原小入学式
4月9日に地元春日北中学校の入学式に参加させて頂いた。ついひと月前に小学校の卒業式が済んだばかりの子たちなのだが中学校の制服に身を包むとどうしたわけだか随分と大人になったような気がする。皆緊張の面持ちではあったが溌剌とした表情で入学式に臨み、新しい生活に期待と不安で一杯と言うところであろう。
思い返してみれば私のでたらめなと言うか波乱万丈な人生も中学入学のときから始まった気がする。あのときに若干ボタンの掛け違えが無ければ今全く違った人生を歩んでいたのではないだろうか。人間何度も新たな人生の始まりの時は訪れる。だが、自分の人生と照らし合わせてもこの中学の3年間はのちの人生に大いなる影響を及ぼす非常に重要な時である事は間違いない。体も大きく成長する。行動範囲も広がる。頭も成長するだろう。だが、心は葛藤を始める。そんな時期だ。これまでの価値観が一変する時期であるのかも知れない。周囲もそれに戸惑いもする。どうか、自分自身を冷静に見つめる大きな心を持って欲しい。周囲にも同じことを望む。迷いもあろうがどうか一度しかない3年間を決して無駄にしない様になんでも良い一生懸命頑張って頂きたい。
翌10日は地元議員がいない為に春日原小学校の入学式に参加してきた。まあ小さな子ども達の可愛らしい事この上ない!!
まあ、生意気も盛りになってはいくのであろうが親御さんにしてみればきっと目に入れても痛くない存在であるはずだ。どうか注げるだけの精一杯の愛情を注いで子供さんの成長を優しく見守ってやって頂きたい。しかし、返す返すも、私は実の娘の小中学校の乳卒業式に一度と言えども出席していない。今となっては悪かったと思っている。まあ、愛情の表現も色々と言う事で・・・
皆さん本当におめでとうございます!!
2015年04月08日
春日北小学校卒業式出席
下の中学校の卒業式の記事同様、非常に遅い更新になったことをお詫び申し上げる。地元春日北小学校の卒業式に出席させて頂いた。中学校以上に普段から親しくしている生徒たちの顔が沢山並んでいて、親でもないのにこっちの方がやたらと緊張する卒業式であった。前日から近所の子に「声かけるからな!」と予告はしてあったのだが、実際にそうする地尾笑いを堪えきれなかったようでちょっと悪い事をした気分になってしまった。けれどみんな卒業証書をもらう際も堂々としていて実に素敵な卒業式であった。
ただいつも言うが、この小学校の卒業式の、あの卒業生の感謝の言葉だけは何とかならないものだろうか?いや、実によく練習していて生徒たちに何の不満も無い。ただ、本気で気に食わないのは、これはすべて大人が、即ち先生が台本を書いていると言う事だ。下の記事にも書いたが卒業式は生徒たちのものだ。様々な感慨は生徒なりにあろう。それは大人から見れば幼稚であったりもするだろう。だが、本気で彼らがそれを伝えたいなら、それは彼らの言葉で伝えるべきだ。平等に割振りされた優等生な言葉を順序良く滑舌よく発生し、ただのお芝居を見ている気分だ。何度も言うが子ども達は実によく頑張っている。いや、頑張り過ぎている。折角の卒業式に大人たちに言わされた台詞を言う事が私には不憫に思えてならない。「お世話になった先生!」と、よくもまあ自分達で言わせるものだと、その神経を疑う思いである。節度は当然必要だ。だが、卒業式の主役は生徒たちだ。この事をどっかに置き忘れて先生たちの自己満足の会にしてはならないはずだ。じゃないと子供たちが可愛そうだ。いつもそう思いながら眺めてしまう私が捻くれているのだろうか?
ともあれ、本当に生徒諸君は良く頑張っていた。素晴らしい卒業式だった。中学になると急に勉強も難しくなるし、受験と言う難関も控えている。それでも清秋の大事な大事な一頁だ。精一杯頑張ってほしい!!ご卒業おめでとう!!
2015年04月07日
春日北中学校卒業式出席
もうすぐ入学式があろうと言う季節になっての更新は間違いなく私の不徳の致すところであるが、タイトルの通り春日北中学校の卒業式に出席させて頂いた。地元でよく顔を合わせる中学生達の卒業式だったので私もある意味感慨ひとしおである。若干緊張気味の子ども達の姿が何とも微笑ましかった。
で、式自体は何ら滞りなく、厳粛に行われたのであるが、私は以前からこの中学の卒業式に対して言いたいことが一つだけある。それは卒業生や在校生が唄う「歌」についてだ。いや、実によく練習しているのであろう合唱も見事でそれは素晴らしい。だが、自慢ではないがこの4年間、一度と言えども私が知っている唄を聞いたことが無い。いや、多分私だけではないだろう。御来賓の方々も保護者も初めて聞く歌ばかりだ。唄はある意味時代を映し出す鏡だと思っている。私の中学時代に「贈る言葉」が大流行していたが、この疑いまでも流れれば私と同世代の人間は間違いなく「あ〜〜懐かしい」と思うはずだ。だが、今の卒業式で唄われる歌はどうだろう?決して悪い歌だと言うつもりはないが、基本あまり知られていない歌である以上そんなにいい歌とは言えないだろう。やたらと理屈っぽい歌詞が並んでこれを数十年後に思い出すだろうか?卒業は一生に一度だけの大切な儀式だろう。ならばその時代を彩る、心に深く刻まれる曲を自分の思い出と照らし合わせて心から唄った方が良い様な気がする。生徒の入退場の際に流れるヒット曲の方が、例えば「手紙」だったり「エール」だったりの方が唄い易いだろうし忘れないんじゃないだろうか?次に書く小学校の記事でも触れるが、節度は当然必要だが、卒業式は誰よりも生徒たちのものだろう。この辺りは絶対に考えた方が良いと思う私である。だが、とは言っても本当に素晴らしい式典であったことは事実だ。様々な希望を胸に飛び立っていく卒業生諸君の、今後の更なる飛躍を期待する!!ご卒業おめでとう!!
ってしかし、この日の寒さだけは私は生涯忘れません!!
2015年03月08日
民族企画展特別講演会
わが春日市が全国に誇る「奴国の丘歴史資料館」において開催されている企画展の一環として開催された特別講演会「春日村の農婦の四季の仕事」を聞きに行かせて頂いた。講師の先生は昨年もお話を聞かせて頂いたが地元の郷土史研究家の山田稔先生。この方兎に角フィールドワークと言うか実地での聞き取り調査が凄まじく歴史にいとことあるタイプの私でさえ唸らせる説得力のある方である。今回も、数字に直せばほんの数十年、と言うか70年位前の話であるが、当然の様に聴講者を感心させるお話をお聞かせいただいた。
この話の中で、今でこそすべて機械化されてそれほど難しそうに見えない(いや本当は死ぬほど大変なのだが)農業がどれほど重作業で、また更に、それを行う農家に嫁いだお嫁さんの苦労たるやいかばかりであったかと言う事を思い知らされる。話は大きく変わるのかも知れないが、それこそ今の時代の多くの進歩的な女性の方々が「男女共同参画」や「女性の社会進出を」等と口にされているが、この時代の助成のご苦労を慮ればとても口に出すのも憚られる、そんな気分にすらなってしまう。こういった過酷な重労働を体験した人にこそ、そういう発言があって然るべきだと、また余計な事を感じたりする私であった。唯しかし、この小さな市のそれもわずか70年前に「上白水に嫁に置くならタラの木に登れ」即ちそれほど苦労が目に見えていた等と言う事を言っていたと言う感性がどうも実感として湧かない。それほど閉鎖的である意味地域制の強い村だったと言う事になる。こういった事をお聞かせいただけることは、私の様な余所者には有難い限りである。是非多くの人々に聞いて頂きたい講座であった。また是非機会を作って欲しい。ともかく素敵な講座でした。関係者の皆様本当に勉強になりました。ありがとうございました!!
2015年03月06日
地域で子どもを育てる実践発表会
県が主催している「アンビシャス広場」運動の一環として、春日市においても、市内各地で開催されているアンビシャス広場運動を通じて、地域で子どもを差でテル実践発表会が解されたので見学させて頂いた。因みに「アンビシャス広場運動」とはその名の通り子ども達が未来に対して希望を持てるように勉学だけでなく様々な活動を通じて子供たちの成長を促進させようとする運動であると私なりに解釈している。この日は市内の幾つもある広場の中から3つの団体の方が出席頂いて、その様々な取り組みでの困難や子供たちの成長について、其々のクラブでの沿いう工夫や苦労まで含めてご披露頂いていた。多くの参加者から大変参考になると言う声が上がっていたのも素直に頷ける。
いつも思う話であるが今の子ども達は間違いなく私たちが育ったころに比べると物質的には豊かで羨ましくもあるが、反面大変可哀そうだと思う事がある。圧倒的にデジタル化され貸し化された様々な現象を見ることに慣れているが故に想像の翼は広がらず、況してや純粋培養の中で異常な程に守られて生きる事を強要されてもいる。冒険や秘密など持ちうるのであろうか。そういった差に周囲の大人たちが良くも悪くもこの親の過干渉に対して一定のバイアスを掛ける必要ももしかするとあるのかも知れない。過去においては、子ども達の世界の中だけで完結できていた話を大人が割り込まなければ体験できないと言うそのこと自体は非常に残念な話と言えるのかも知れない。が、それでも、ただ只管親の庇護のもとに置き続けるよりは遥かにましであろう。いや、むしろ積極的に他人が関わらなければ、その親自体が周囲との関わりを立とうとする傾向すらある。この日もグループディスカッションで様々な意見が出ていたようである。こういった事も間違いなく今の保護者には大いなる刺激となろう。また新たな子育てのヒントに其々の地域が抱える現状を話しあるこういった機会は極めて貴重である。昨年もそうであったが、こう企画運営に携わって頂けている担当の職員の熱意に唸る思いである。本当に素晴らし企画だった。多くの来場者が思い思いのお土産を持って帰られたであろう。本当に有難うございました!!
2015年03月05日
春日市スポーツ指導者講習会
毎年行われている春日市体育協会主催のスポーツ指導者講習会を見学させて頂いた。と言うのも今回は、先に私が行った一般質問を受けたわけでは決してないだろうが、この指導者講習の中に「障がい者スポーツ」への取組として、私が所属している福岡県障害者スポーツ協会から、これまた私が普段から大変お世話になっている先生を招いて講義と実習の時間を取って頂いたからである。
講義は二年前に私が見て以上に感動した障がい者スポーツのビデオを見た後に現在の環境について説明がなされていたのだが、本当に熱心に普段から指導者として取り組まれている方々が聞いておられる姿に既に私は感動してしまっていた。しかし何よりも続けて「実習」として車椅子や各種の競技を体験して頂いたのだが、この際の皆様の驚きと感動は手に取るように伝わってきた。テレビや何かの画面で見る、その数百倍動かすこと自体が難しい車椅子に乗られて、普段から障がいのある方がどんな思いでスポーツに取り組まれているか、その一端を体験し、率直に「凄い事だ」と感じて頂けたのではないかと思っている。私自身、偉そうに言うほど障がい者スポーツに深く、そして長く関わってきたわけではない。むしろ初心者である。しかし今一番大事なのは、この「初心者」を増やす事なのだ。子の裾野を広げる作業なしに決して障がい者スポーツの進行や普及など出来はしない。ともかく体験して、そしてその意義深さを体験して頂ければ、きっと何かが変わっていくものであると私は信じている。その意味でも、今回こういった機会を与えて下さった「春日市体育協会」に心から感謝を申し上げるものであるし、その取り組みの崇高さに敬意を表する。また大変お忙しい中、スタッフ総出で対応してくださった県障害者スポーツ協会の方々にも心から御礼申し上げる。本当に素晴らしい機会だったと思います。県警者の皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました!!
2015年02月20日
春日東小学校入学説明会
今回も決して入学説明会自体が聞きたかったわけではなく、その中で開催される「家庭教育学級」の講演会を聴きに春日東小学校にお伺いさせて頂いた。今回の講師の先生は全国でも公演をなさっておられると言う家庭教育の専門家の方らしい。お話自体は大変こなれていらっしゃると言うか、つぼを突いた実に素敵なお話で保護者の方々も大変満足されていたようであった。この有意義な時間を過ごせたと言うだけで、入学説明会の場において家庭教育学級の講座を設ける事の意義は十分すぎるほどにあると思われる。
これは以前から思っている事ではあるが、現代は必要以上に情報が多い。いや、多過ぎる。「子育て」と言う誰もが初め経験し、また一人一人個性が違うので全く同じような、いわゆるマニュアル的なものなどある訳も無いのに、多くの人がそれを探してしまう。いや、参考にするのは良い。良いが、、それに即していないとまるで「私の育て方が悪い」であるとか、甚だしきは「この子は普通の子と違って悪い」等と言う短絡的な物の考え方をする方が多いようである。マニュアル本や「○○力」的な本が増えればますます混乱してしまうのであろう。極めて観念的な言い方ではあるのかも知れないが、この日の講義の中で講師が「唯々愛してあげればいい」はある意味名言であろう。どのように育てなければいけないと言った決まりはないんだ。どうもこのあたりが現在の病巣であるのかも知れない。100人いれば100通りの子どもがいて、当然の様に接し方も違ってくる。正解など無い。その事を情操的に語りかけていくこういった講座は大変有効であると思う、と若干言っている事に矛盾を感じなくもないがそう思う。保護者が心豊かであれば良い。そう実感した講座であった。見学の為にご無理も言いました。関係者の皆様本当に有難うございました。
2015年02月19日
認知症予防講座見学
これからの長寿社会での何より一番の心配事はと言えば、これは間違いなく認知症と言う事になろう。誰もが成り得る症状としてこれからその対策には最も力を入れていかなければならない。私もそう考えてこの事は一般質問もさせて頂いた。多分誰でもそうであろうが遅いくる病は恐ろしい。ただ、ある意味では自分さえしっかりしていればある程度の覚悟も出来よう。しかし、それすらなくなると言うのであるからやはり認知症は恐ろしいのだ。ただ、大変幸いなことに現在ではこの認知症に対する研究は進んでいる。何よりも正しい理解が大事と言う点で、今回の様に専門家のお医者さんをお迎えしての講座は極めて有意義なものである。
ただ、大変残念な話であるが専門家の先生曰く現在のところ根治の方法はないそうである。生物学的に見れば人間と言う個体の本来の寿命はせいぜい50年であると言う話を以前聞いたことがある。その意味で言えば現在の平均寿命が男女共に80歳を超える現代にあって、まだまだ未開の分野と言うか領域の多い脳について様々な問題が発生する事もやむを得ないのかも知れない。ただ、やはり先程も述べたが正しい理解と正しい向き合い方、これを広く周知する事は重要な事であると言う事だけは間違いない。以前一度徹底的に勉強したつもりであった私からしても非常にためになる有意義な講座であった。参加者が多かったのも関心の高さゆえであろう。また是非開講して頂きたい。関係者の皆様、ありがとうございました!!
2015年02月13日
新春の集い色々
未だ新年の余韻が残る一月中は様々な「新春の集い」にご招待を頂く。勘違いされないように言っておくが、なにもタダでご招待を受けるわけではない。きちんと会費はお支払している。ここは強調させて頂く。毎年の事ではあるが今年も大変有難い事に「春日市文化協会」さまから新春の集いへのご招待があった。ただ、ここで大変な事に気が付いてしまった。今年でこの会へ参加させて頂くのは4年目になるのだが会場を見渡しても知り合いがいない。普通4年も通えが一人くらいは「大変ご無沙汰してます」的な人がいてもいいはずだがそれも全くいない。なんでかと考えて恐ろしい事実に気が付いた。ここでは先程も言ったが会費を払っている。決して高くはないが、絶対的な貧乏には若干応える金額である。なので元々性格がいやしい私は何としても元を取ろうと必死になって出されている豪華絢爛な食事を食べる。いや、そんな生易しいもんじゃない。食べ漁る。するとどうなるか?当然の様に周囲の方と御話する機会を無くす。即ち周囲の方とコミュニケーションが取れずにいつまでたっても知人が増えない。「貧すれば鈍す」とはよくいったものだ。まず何よりも性格を改めなければならない・・・
併せて市長の新春の集いにもご招待をお受けして参加させて頂いた。選挙の年と言う事もあろうが会場には700名を優に超す有権者の方々がお集まりになりなかなかの風景であった。やはり選挙に強い人は違う!そう心から感心させられた。それに引き換え私は・・・これはちょっと心を入れ替えなければならんな。と、お目出度い席にもかかわらず反省する事しきりの新春の集いでありました・・・
2015年02月09日
弥生の里児童画大賞展
全くどうでも良い様な事を書かせて貰うが、私の実は小学生の頃に絵画を習いに行かされていた。「行かされていた」と言うくらいだから当然の様に別に好きだったわけでは無い。が、良くしたものでこういう物はいったん描き方を習えば、まあ即効性があると言うか、同年代の間ではそれなりに評価される絵が描けるようになるものだ。で、ここからが私の人生全てに於いて共通する最大の欠点であるが、そうなると見事に調子に乗って「自分は出来るんじゃないか」と勘違いをしてしまう。これがとんでもない間違いで、基礎も無いのに気持ちだけは上を向くものだから面白い位に壁にぶち当たる。これを超えればきっと本物になるだろうが、当然の様に諦めが先に立つ。で、何もかも中途半端・・・人生とは恐ろしいものだ。
とまあそんな感じで、自慢でも何でも無いがコンプレックスまで併せて私にはまったく絵心が無い。いや、これがある人が羨ましくて仕方ないのだが、無いものは仕方ない。その絵心が無い私が何を言っても一切説得力も無いが、春日市教育委員会が主催する「弥生の里児童絵画展」が今年も開催されその表彰式が行われた。この大会、春日市の生徒はもとより県内各地の子ども達が大母子てくるほどに非常に有名なコンテストになっている。その所為もあろう受賞作品に限らず力作揃いだ。と言うっても私には絵の良さは解らないのだが・・・まあ、ただ、そんな私ではあるが着眼点の素晴らしさくらいは解るつもりでいる。その意味で言えば私が一番好きな作品は上記の一枚だ。いや、なんとなく素晴らしい!!って、普段はやたらと表現に気を使う私だが絵の説明は一切出来ないのでご容赦頂きたい。まあ、なんでもデジタルな時代ではあるが是非想像の翼を広げて思い通りの絵を思い切って子ども達には描いて頂きたい。本当に素敵な絵ばかりでした!
2015年02月08日
自分好座実践発表会
12月の記事でも書かせて頂いたが社会教育課が主催する生涯学習の「自分好座」の発表会が開催されたので見学させて頂いた。今回は「かすがくんあすかちゃん」を使った「福笑い」である。ゲームの全てを自分たちで作り、様々な試行錯誤を繰り返してルールを考える。この遊びが成功かどうかは会場に溢れていた笑い声が全て結果を示しているのであろう。市の事、今後の事など様々な要素を含んだ素晴らしい発表であったと思う。皆さんの自発性も勿論であるが、ご指導いただいた所管の職員の熱意にも改めて脱帽する思いである。
いつも言っている事だが私が個人的に社会教育に関してはひとかたならぬ思い入れがあるし、また普段から接する機会が多い職員たちの姿を拝見させて頂くにつけ、ある種の愛着すら感じている。その贔屓目も含めて本当に所管は生涯学習の意味や意義を真剣に考えてよく工夫をした講義を提供してくれている。今回の発表会もその成果であるし間違いなく素晴らしいものである。が、ただこれは、この一場面だけを切り取って考えた時の話であると言う限定が付く。いや、これは決して誰が悪いと言う話ではない。間違いなく皆さん素晴らしいのだ。だが、大変残念なことに私が見学しだしてこの数年。これに参加してくださるメンバーに大きな変動が無いのだ。いや、地域の老人会等で変動が無いのは当たり前の話であるし、それでいいのだ。だが、市が場所を提供する事業に、あまりに固定的なメンバーが集いすぎると言う事が果たしてどうなのかと言う事は、大変厳しい言い方ではあるが真剣に考えなければならない。常に行政が行うべきは仕組みのきっかけ作りである。ご高齢者に生涯学習の機会を提供するのことは素晴らしい。しかし、ご高齢者は常に新たに増えてくるのだ。ここにいつまでも同じ方がいらっしゃるようではどうにもならない。地域活動のリーダーを養成するための講座であるなら、この受講生の方々は其々の地域にあってまた新たな輪を作って行って頂きたいのだ。大変厳しい言い方であるが「あそこは特定の人たちでがっちり固まっているから」は悲しいかなよく耳にするご意見だ。市が直接関与する場でそれは本来あってはいけない構図のはずだ。ただ、十分に気持ちは理解できる。居心地が良いのだ。誰だって居易い場所に居たいに決まっている。当然の事であるが高齢化率が増加していく中で、こういった講座に市内すべてのご高齢者を抱え込むのは無理がある。理想を言えばこの講習を受けた方が地域でまた新たな核となって頂きたいのだと思う。が、それが現実問題難しいから現状がある。優しく送り出すそんな一面も必要かもしれない。この点こそが、この素晴らし事業の今後の課題であるのかも知れない。まあ、こういう言い方をすると地域の方に怒られるかもしれないが、地域の目に見えない壁と言うか閉鎖性もなかなかのものであるのは厳然たる事実だ。これをどう解消していくか?私も真剣に考えてみたい。ただ、勘違いをしないで頂きたい。掛け値なしで素晴らしい内容の講座だしここに参加されいる皆様も意欲的で素晴らしいのだ。いつもそうだし、今回も大いなる感動を頂戴した。関係者の皆様、本当に有難うございました!!
2015年02月07日
春日東中学校入学説明会
市内各中学校において新年度の入学制に向けた説明会が開催されている。別に義務教育から義務教育への段階を踏むだけの話であるので、その意味で言えばこの入学説明会にはあまり興味が無いと言うのが本当のところである。しかし、この説明会の中で社会教育部が主催する講演会が開催され、併せて「かすが家庭教育学級」の新年度の宣伝が行われているので見学させて頂いた。
この日の講座は「スマホ/SNSとの付き合い方」である。。やはり現在の子どもを持つ親にとって一番の気掛かりはネットとの付き合い方と言う事になるのであろう。今更私が言うまでも無くネットの広がりは我々大人でもこれまでの常識を遥かに凌駕しているどころか、脳の思考力の限界すら超えてしまっている感がある。これは全くの私の昔からの持論だが、人間の脳はその成長に応じて、思考や認識の範囲が徐々に広がっていくものであったと思っている。幼稚園児の時は家の周辺が、小学校時代はその校区が、高校になるとまたその広い学区が、子どもにとっての活動限界であり、それこそが世界の全てだ。行動範囲が広がるにつれて思考も高まってきていた。しかし今ではその無限とも思えるネット空間での世界の広がりを小学生から体験ができる。出来るが、それに脳の認知力が追い付いていけない現象が起きているのではないだろうか。いや、厳密に言うと大人ですらそれが出来ないから様々なネット上でのトラブルが起きているのだ。大人が対峙して困惑しているものを子供にどう付き合えと説明するのかは間違いなく現代社会の大いなる課題であると言える。実際問題として大人が依存症になっているのを子供に「使うな」も無い。また、大変厄介なのは、こういった環境下で育った子供が将来的にどういった影響が出るのかも未だわかってはいない。その意味で大変便利なものではあるがこれと適当に距離を置く勧めは必要であろう。子どもからもしかすると「お母さんやお父さんは使っているじゃない!」と言われるかもしれない。これは仕方ない。棚に上げればいい。「大人になったら使って良い」で良いんじゃないかと思っている。そういった事を改めて考えるきっかけとしてもこういった講座は極めて有意義であり是非多くの保護者の方に聞いて頂きたいものだ。大変素晴らしい講座内容だった。企画を頂いた社会教育課には心から感謝を申し上げる。ただ、惜しむらくは、スケジュールの関係上止むを得ないのであろうがもうちょっと時間を掛けて「家庭教育学級」の宣伝を行ってほしかった。何となく学校側にせかされる気分であるのは充分解るが、ただ、保護者の情操面が充実すれば学校も本来助かるのだ。この事をどうか学校にも今一度理解の徹底を行って頂きたい。ともあれ、素敵な講座をありがとうございました!
それはそうとここで販売されていた学生服を見て驚いたのだが、あれってものすごく高いんだ!!はっきり言って私の背広より高価でした・・・
2015年02月01日
春日市図書館講演会「メディア講座」
いつも大変お世話になっている、わたしの心のオアシスとも言うべき春日市市民図書館が「メディア講座」を行うと言う事だったので聴講させて頂いた。講座の内容に関して言えばタイトルの通り現状の様々なメディアに関する話題である。当然全てが肯定的な立場での話ではない。
以前から話では聞いていたが、なんでも現在は「スマホで子育て」と言う感覚があるのだと言う。数年前にこの話を聞いた時に、私は正直「ここまで進んだか」と言う感想を持ったものだ。子どもの興味は間違いなく動物のそれと同じく、静止したものよりも動くものに行くであろうし、その意味で子どもに動くものを見せれば関心を惹くことは出来る。約30年前私たちがファミコンに夢中になった時の事を思えば、子ども達が同様の興味を示すことに何の疑いも無い。「優れものだ」とすら思っていた。が、これは唯々偏に私の見識不足であったようだ。間違いなく瞬間的に興味は引きつけるであろう。が、であるが故にそこで終わってしまうのだ。本来子どもが育てるべき想像力などこれで伸びるわけも無い。一つの例として赤ん坊が絵本を広げて、スマホよろしく指でスクロールを行なおうとして、当然それが出来ずに癇癪を起す画面が紹介された。正直衝撃を受けた。講師の考え方に全て同調するつもりはないが、しかし、確かに幾ら便利でもこれで子育てを行なえば、その数十年後の惨劇は想像するだに恐ろしいものである。なので、やっぱり本を読ませましょう!と言う、若干我田引水的な結末に聞こえなくもないが、ただ、間違いなく人間の歴史において人が書物から様々な知識や想像力を得てきたことは紛れもない事実である。人間にとってこれが最も有効であると言う事は、それこそ歴史が証明している。で、経験上私も全くそう思う。確かに急速に発展するメディアは様々な革新を生活にもたらした。今やこれを放棄しろと言われてもできる訳も無い。が、これをふれさせるタイミングがいつかと言う事に関してはまだ議論が深まってはいない。これは今後検証すべきであろう。そういった意味も含めて非常に考えさせられる講座だった。この辺りの選択の素晴らしさが「さすが図書館」の面目躍如であろう。またお伺いしたいと思っている・関係者の皆さん、本当に有難うございました!!
2015年01月28日
春日市走ろう会
春日市の走ろう会の開会式に行ってきました!この日は早朝であったこともありますが前の晩から福岡にしては尋常で無い程に冷え込み、会場に到着した時の温度は何と「0℃」!!もう手足が冷たくて・・・さりとて、多くの参加者の皆様がスポーツウェアでおられる中でジャンパーを着込んで開会式に臨む訳にもいかず、一発気合いを入れて背広だけで勝負をしました!!勝負の行方につきましては御想像の通り、如何に気合いを入れたところで寒さには勝てず、体の震えが一向に収まらず私の完敗に終わりました。
と言う私の事情はこの際どうでもよくて、会場は本当に多くの参加者の皆様の熱気が溢れんばかりでした。走る、と言う行為を思い出と言う名の宝箱にしまって押入れの一番奥に片付けている私にすれば到底信じられない事ですが、どうも世間で言われている「ランニングブーム」と言うのは本当らしくて、この日も会場には、それこそ老若男女を問わず大変多くの市民の方がご参加頂いておられました。また、昨年から健康ウォークも合わせて開催されるようになったので参加者の幅が広がっているようでもあります。こういった企画の組み合わせについては執行部の柔軟な思考が感じられて脱帽する思いです。歩く。走るは間違いなく健康の基本です。こういった大会の裾野がさらに広がり市民の全てがもっと健康に対する意識が高まれば言う事なしです。ならば、私もちょっと宝箱を開けて、来年は大会出場を目指してみるとしましょうか!?って、パンドラの箱だったりして・・・
非常に有意義な加えて大盛会の行事でした。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます!!
2015年01月25日
女性人材育成講座聴講
春日市の人権政策課が主催で開催された「女性人材育成講座」を聴講させて頂いた。今回のテーマは「履歴書の書き方・面接の受け方・ブラック企業の見分け方」と言う大変興味深いものであった。講師の方は社会保険労務士で現在専門学校で教鞭をとられながらこれまでにも多くの企業で人事等に携わってこられた実績のある女性の方だった。やはり現場を知って上での講義内容であったので受講生の方も大変興味深く聞き入っておられた。私自身も「なるほど」と思う事がある素晴らし講義だったと思っている。
今後の社会の在り方を考えれば、間違いなく女性の社会進出と言うよりも男女共同参画の一層の推進は極めて重要な課題である。ただ、この問題を考える際に基本として押さえておかなければならないのは、こういった話は決して「そうでなければならない」と言ったような押しつけではないし、況してや数値目標などを作ってそれを目指すと言った種類のものでは決してないと思っている。ただ、様々な人生の選択の在り方として、女性が社会に出る事を望んだ際に、当然ん女性は女性としての男性とは違う事情を抱えている訳であるから、この事が決してその選択にとって除外要因にならない仕組み作りと、その為の意識の徹底を図っておかねばならない。こういった議論は時として、これまでと同様の考え方を持つものに対する猛烈な批判になったり、また他の社会全体のシステムの変更に良いように利用される場合もあるのだ。実際に女性進出に絡めて一部では、であるからして男性の正社員はいらないと言ったような議論のすり替えに利用されてもいるのだ。いくら女性の社会進出が盛んになっても、その事で所謂パートナーの仕事が削られていくのであるなら、これは正に議論が主客転倒している。家庭と言う経済単位で物事を考えた場合、女性が社会に出た分男性の就労状況が不安定になり総合しての収入が減るようでは、もう新しい働き方も何もない。唯々、都合よく企業の側にとっては便利で使い捨てのきく流動した労働力が増えると言う話で、労働者側には一切利益の無い話になる。よく、このレトリックに気が付かず数値だけを捉えて「男女共同参画が遅れている」等と叫ぶ方もいらっしゃるようだが、これはそういった底の浅い感情論ではない。むしろその掛け声のもとに日本社会の中でヒエラルキーが確立されることに利用されている現実を知るべきだ。ただ、間違いなく家計での収入が目減りしてきて、理想は兎も角現実的に働くことを余儀なくされている方々が多いのは現実である。この方々への様々な支援の在り方はイデオロギー云々は別にして必ず行政は行っていかなければならない。その意味で間違いなく有益な講座であったし、その事は受講し得の熱心さが物語っていた。勉強になりました!!ありがとうございます!!
2015年01月21日
春日の「婿押し」と小倉の「左義長」
現在では成人式もなんだか妙な法律改正で「国民の祝日」となり1月の第二月曜日でもあるし、各地でその開催日もまちまちであるようだ。しかし本来1月15日は小正月として日本人が非常に大切にしてきた暦の節目であり、こういった風習が合理的に変えられていく姿には保守的な私としては多少の違和感を覚えるものだ。が、この春日後にあっては現在でもこの15日は非常に大切な日のままである。春日の中でも大変古くからの伝統を誇る「小倉」地域では、この日国指定の催事である「嫁の尻叩き」が行われる。まあ、なんだかその謂れについては諸説あるようであるが、その光景を拝見させて頂くになかなか厳しい洗礼である事は間違いない。要は小倉地区にお嫁さんにその年に来た女性のお尻を力いっぱい皆で叩くと言うものだ。しかし、これも守るべき伝統である。が、大変残念なことにこの数年この数年、これに参加してくれるお嫁さんがいないのだそうだ。いや、本当はいるのかも知れないが参加が無いらしい。是非行事の復活を熱望する。また併せてこの日に「左義長」と言う行事も行われる。これは桜ケ丘の「ほんげんきょう」と同じ催しだ。ただ、やはり伝統があるだけあってなかなか豪勢である。是非うちの街もこれに負けないものを開催したいと切に願っている。まあ、その為の偵察だと思って頂いて良い。
また、これもしないでも大変歴史が古い春日地区でも国の重文である「婿押し」と言う催しが行われる。これもこの歳の新婚の旦那さんが春日神社の池に飛び込むと言うものだ。まあ、何ともこの春日後は新婚さんが好きらしい。加えてこの日はこの地域では祭りを祝って全ての家の玄関が解放され、そこを訪れる誰彼かまわず振る舞いをする習慣があるようである。私も厚かましくお伺いするが、まあその食事の豪勢な事と言ったらない。家庭の奥様は本当に大変だろう。
私の様な貧乏人には絶対に出来ない振る舞いである。ともあれ、どういった形であるにしろ古くからの文化を守り続けていく姿勢は心から素晴らしいと思う。桜ケ丘も負けない様に頑張らなければならない。来年は絶対、小倉より大きな「ほんげんきょう」を、それも夜に開催してやる!!
2015年01月15日
春日市商工会賀詞交歓会出席
当然の事と言われればそうであろうが、年末年始は行政の行事が少ない。したがってこの欄に書き込む記事が無いのが悲しいかな現実である。さりとて議員としてなにも行事に呼ばれていない訳でもない。忘年会や新年会と言った行事には、そんなに呼んでいただたかなくても、と思うくらいにお声を掛けて頂く。だが、大変残念なことにそういった会ではただひたすらに飲んで食べてを繰り返すだけでとてもではないが記事として成立しない。それもこれもすべて「会費分の元を取ろう」と言う私の浅ましさが招く事態である。大いに反省をするとしよう。
この日は春日市議会議員全員にではあるがお誘いがあり「春日市商工会」の賀詞交歓会に出席してきた。
大変真面目な話であるが、この商工会は全国の数ある商工会の中でも極めて優秀な活動を続けている会であるとして全国表彰を昨年受けている。流石にわが市の市民のレベルの高さを思い知らされる話であるし、その不断の御努力には唯々頭の下がる思いである。意識の高い方々がいかに多いかと言う表れである。であるならば私としても多くの方々とお近づきになりたい所ではあるのだが、大変悲しい事に私はこの会に殆ど知り合いがいない。いや、選挙近くに非常に落ち込む現実である。従ってこの日も主に何をしていたかと言えば当然の様に会費分食事をとるだけと言う大変情けない行動を一人会場の隅で繰り広げていた。いや、これで本当に選挙は大丈夫なのだろうか??非常に不安感が募る今日この頃である・・・さりとて、大変有意義な会でした。関係者の皆様、本当に有難うございました!!
2014年12月14日
福岡県町村議会議会報研修会出席
今更ながらではあるが我ながらとんでもない事を引き受けてしまったと若干後悔に近い思いで我が身の迂闊さを恥じているのは議会報編集特別委員会の編集委員長を受けたことである。いや、間違いなくその任務は重大であるし責任は極めて重い。加えて言うのであれば大変勉強にもなっている。しかしその膨大な作業量に押しつぶされているのも事実である。大変有難い事であるが委員の皆様と事務局の御理解を受けてそれまでの、お世辞にも面白くて見やすいとは思えなかった「春日市議会だより」を数度にわたる変更の末に、概ね市民の皆様にご好評を頂ける冊子に一新できたことは有難い限りである。しかし当然、これが突き詰めた最も最良の形ではない事も事実である。まだまだ各地には工夫を凝らしたもっと市民に寄り添った議会報の形があるはずである。
と、言う訳で毎年福岡県の町村議会が共同で開催している「議会報研修会」が先日開催されたのでまた新たな教えを賜ろうと厚かましく出席させて頂いた。当日会場は各地の議会報に携わる方々の熱気で溢れかえっていた。二年前にこの会に出席させて頂き大変多くの事を学ばせて頂いた。これは実際春日市の議会報にも多くそのエッセンスを取り入れさせても頂いた。今回も講師の講義の中で我々がついついしてしまっている、読者と言うか市民に決して親切ではない表記の仕方等の思い知らされた。まだまだ勉強が足りないようである。さっそくここで学んだ事柄については市でも実践していきたいと思っている。関係者の方々には、そのご配慮に心から感謝申し上げる次第である。
と、ここで気が付いたのだが、私の委員長としての任期はあとたった一号だけだぞ!?この勉強の成果を何処で活かすんだ??
2014年12月10日
総務文教委員会 佐世保・伊万里行政視察
去る11月13・14日の両日で本年度二回目の総務文教委員会の行政視察を行った。今回の目的地はお隣の佐賀県伊万里市の「伊万里市民図書館」に、その画期的な運営手法を、併せて長崎県佐世保市役所に「徳育の推進について」と其々お伺いに行ってきた。
私の活動報告等に目を通してくださっている方ならお分かりと思うが、私は社会教育、その中でも自分の趣味が読書と公言して憚らない程に図書館の存在意義やその今後の在り方には尋常ならざる興味がある。その意味では今回訪れた伊万里市では多くの事を考えさせて頂いた。また佐世保市においても人間形成の基本となるべき道徳の教育の難しさを痛感させても頂いた。今回も大変意義のある視察であったと思うし、今後春日市の市政運営に反映できるようにっ私としてもさらに見聞を広げていきたいと思っている。今回もこれまでと同様に視察の報告書を書かせて貰ったので是非ご一読頂きたい。
総務文教委員会 伊万里市・佐世保市行政視察報告書
と、これで私の議員一期目の行政視察はすべて終了となる。大変多くの場所に見学にお伺いさせて頂き勉強にもなったし考えさせられたことも多い。何一つな事など無かったと言い切れる。これで一応全ての視察の報告書も書かせて頂いたことになる。お解りの事であるとは思うが、この報告書、実に大変能力を持って作成させて頂いている。それこそ世間よく言われているように「税金を使って」これらの視察を行う以上、ここで何を考えてきたかを報告する事は我々の義務であると思っている。「物見遊山に行ったのだろう」等と言われることほど耐えられない事はない。が、ここで敢えて私は問いたい。世間でよく「議員活動が見えない」であるとか「政務活動費は何に使っているか解ったもんじゃない」等と言う言葉を耳にする。が、これを言う人たちの一体何人がこうやって必死になって作成する報告書に目を通すのだ。誰も読まない事を実は知ってもいるのだ。それでも私は議員として最低限の務めとしてこれを書き続けている。が、こんな作業などしたことも無い人間が選挙では私の遥か彼方上の得票で当選を決めるのだ。敢えて言おう。これは非常に虚しい話だ。議員に、いや政治自体に何御期待を持たなくなった人が増えている事は充分に承知をしている。が、しかし一方で政治家も報われない仕組みになっている事も事実だ。真面目な活動には一切目もくれず、全く違う要素で投票を行うのが現在の選挙であれば、当然政治を目指す者の活動方針は違ってくる。ご批判を覚悟の上で申し上げるのであれば現在の政治の、加えて政治家の退廃の大いなる原因はそれを選択する有権者にある事も忘れてはならない。「賽の河原に石を積むような」もしくは「砂漠に水をやり続ける」ことが政治家の有るべき姿であるとするならそれも良い。私は喜んでこれまで通りの活動を続けよう。だが、それが報われる保証など何もない。いつまで意地を通せるか・・・ただ与えられた任務をやり通すだけではあるのだが・・・ まあ、こんな愚痴が出る辺りに私の小ささと疲れが見て取れると笑って頂きたい。
数々の場所で大変貴重な御意見も伺ったし、また説明にのめり込むあまり大変失礼な質問をしたこともあったと反省もしている。そういった全ても含めてこれまで視察先でお世話になった方々に心からお礼を申し上げるし、様々な政策を春日市の市民に還元する形で感謝に変えたい。本当に有難うございました!!
2014年12月09日
自分好座公開講座準備見学
生涯学習の一環として行われている「自分好座」は一年間を掛けて様々な講義を受ける。ここまではどこにでもあるやり方であるが、ここから先が一味違う。この数々のコザを自分なりに消化してこれを今後地域等で広げていって貰うリーダーになって頂くことが終着点である。その為に講座の最終回近くにいく班かのグループに分かれてそれぞれ自分たちで考えたゲームや遊びを披露しあいこれを確認する作業を行う。この日はその為の最終準備の日であった。
あるグループは音楽に合わせての振り付けを。またあるグループは春日市の公式キャラクターであるかすが君とあすかちゃんの福笑いを。またあるグループはこれもご自分たちで考えられた体を使う鬼ごっこの様なゲームの準備に余念がなかった。ある意味どれもご高齢者であるが故の軽い遊びであるが、それでも各所にコミュニケーションの再確認であったり認知症の予防に十分言成り得る要素がしっかりとは言っている物ばかりだ。これには純粋に感心してしまった。主管する社会教育課にしても間違いなく予想以上の完成度ではないだろうか。ここまで引き上げて下さった担当者の御努力は素晴らしいの一言に尽きる。ただ、問題であるのはこの手の講座はあくまでも生涯学習のきっかけ作りの場であって、ここが最終的に集いの場ではないと言う点だ。これを地域に持ち帰った際に新たな輪が作れるかは今後の大いなる課題であろう。いや、本来は何御師匠も無く出来なければならないのだ。ただ現実はそうもいかない。この辺りの微妙さこそが、今後の地域のコミュニティーが抱える大いなる問題点ではあるのだ。ただ、間違いなく除草の準備は充分に出来たであろう。後は誰かが背中を押すだけだ。これが行政の仕事か各個人の裁量かは意見が分かれるところではあろう。そういった部分まで踏めて今後も是非見学を続けさせて頂きたい。何dも申し上げるが自主製作の企画の完成度は少なくとも私の想像をはるかに超えていた。その意味で十二分にこの講座が持っていた意義は理解できる。関係者の御努力に心から敬意を表する。発表会が楽しみです!!おつかれさまでした!!
2014年12月07日
福岡県暴力団追放県民一斉集会
今からもう10年ほど前の話になるが、所要があって北九州市を夜に走っていた際にいきなり警察に呼び止められたことがある。免許書を見せて少し話したのだが、なんでも警察の方が私のナンバープレートの「福岡」の部分を見落として声を掛けたのだと言う。当時の私の車は黒のマークU.ナンバープレートの番号は「910」。なんでも福岡県北九州市に本拠を置く広域暴力団「工藤会」の車と勘違いをしたのだと言う。この頃から福岡県警と暴力団との激しい戦いは続いているのである。
去る11月18日福岡市内のアクロスホールに於いて「福岡県暴力団追放県民集会」が近隣市町村の安全協会はじめ多くの方々の参加の元盛大に開催された。冒頭にも言ったが福岡県下においては暴力団に纏わるであろう犯罪が悲しいかな跡を絶たない。加えて言えば暴力団同士の抗争ではなく、一般市民を標的にした凄惨な事件まで相次いでいる。私の師匠である県会議員が一般質問の席において福岡県警に今後の対応について尋ねた際に、県警トップでる警視総監が涙ながらに根絶を訴えたそうである。これはある意味悲壮な決意表明であるし、そこまで県警もせっぱつまったところに来ていると言う認識の現れでもあろう。そういった空気もあってであろうが感情の雰囲気は熱気に満ち溢れていた。悲しいかな我々市民は個人的にそういった団体と開講するどころか対応するすべも持ち合わせていない。集団で毅然と事に当たる事と警察と言う組織の力に頼るしかないのだ。この数カ月の警察の動きや報道を見ても県警がこの組織壊滅のために動いている姿の本気さは充分に伝わってくる。であるならば県民も力を合わせて警察と歩調を合わせて動いていくべきであろう。勇気を持って。
暴力に支配されない社会は現代社会の理想であるし、そうでなくてはならない。ただ、これは指を咥えて見ていて実現できるものではない。そんなことを強く感じた集会であった。市の職員も多数出席していたようだ。本当にお疲れ様でした。
2014年11月25日
夜の図書館開催
市内には数多くの公共の施設があるが、その中で私が最も好きなものを挙げろと言われれば何のためらいも無く「図書館」と答える。自慢ではないが自分でも驚くほどにここは有効に利用させて頂いている。即ち趣味の読書を含めて調べもの等で使い倒している。若干申し訳ない位にである。なので、年に一度開催される図書館の自主企画である「夜の図書館」はボランティアとしてお手伝いをさせて頂くことに決めている。今年もなぜか変に忙しい日程ではあったのだが偶々時間が合って準備段階からお手伝いさせて頂けた。
こと準備に関しては昨年同様の作業であるので我ながら慣れたものである。今年も「春日市あんどん祭り」の為に製作された小中学生の行灯を図書館の中と外に設置する作業だ。我ながら妙な事が上手くなっていると感心する事しきりである。
当日は閉館前に集合して最後の調整。今年は春日東中学校のボランティア部の生徒も応援に駆け付けてくれたので人ではたっぷり足りている。昨年までになかった催しとしては、市内の「星の館」からこれまたボランティアをお願いして夜の図書館にふさわしく星のお話をして頂くコーナーもあった。明らかにいつもとは違う環境で、どこか肩ひじ張らない姿勢で本は勿論、図書館自体を身近に感じてもらう企画としては私はこれ以上のものは無いと言って良い位に完成された企画であると思っている。職員がいつよりも更に近い位置で子ども達とふれあい、そして子供たちは僅かな灯りを頼りに読書に親しむ。これこそ図書館が持つべき理想の姿ではないだろうか。
私と同様に昨年からお手伝いに来てくださっている女性の方にご苦労様ですと言えば「イイエ、私の方こそ図書館で本を借り倒していますから、こんな時くらい恩返ししなくちゃ」と笑いながら話してくださった。公立の図書館の持つ意義と、そしてそれがある事への感謝と言う究極の話を聞かされた思いであった。あまり私が言うと随分と手前味噌に取られるかもしれないが、常日頃言っている事だがわが市の図書館は本当に素晴らしい。いや当然施設としては限界があるし予算とて湯水のごとく使っている訳ではない。しかし、この図書館はここで働いている全ての職員が、司書も嘱託もそして委託を受けた方々も、常にこの市の図書館の事を愛し、本を通じて市民が豊かになって欲しいと、そんな思いで満ち満ちている。それが伝わってくるのだ。この日の企画も「図書館の良さをもっと知って貰いたい。本の魅力をもっと知って貰いたい」との思いが見事に表現されているし、実際それが伝わってか昨年よりも大変多い来館者であった。「もっと読書を」は口で言うほど容易いスローガンではない。砂漠に水を撒く様な作業でもある。しかし確実に芽は出てきている。その事を信じて今後も工夫をし続けて頂きたい。当然私も出来る事は些細ではあるが微力を尽くさせて頂く。
本当に素敵な企画でした。関係者の皆さんありがとうございました。お疲れ様でした!!来年もよろしくお願いします!!
2014年11月20日
春日市議会近未来21神奈川行政視察
月額僅か12500円の貴重な政務活動費を有効利用すべく、神奈川県の川崎市並びに横浜市へ私の所属する近未来21と翔春会、春風会と合同で会派行政視察を行ってきた。川崎市には今後度の自治会も直面するであろう保有公共財の有効活用に早くから取り組まれておりその内容を。横浜市には多分国内最高の規模であろう体育協会の運営についてお伺いしてきた。内容については相も変わらずレポートにまとめてあるので是非ご一読を頂きたい。
春日市議会 近未来21・翔春会・春風会合同行政視察レポート
この中でも触れてはいるが、今回の視察はこれだけ厚かましい私であっても若干気後れすると言うか恐縮する視察であった感は否めない。川崎市は人口140万人。横浜に至っては人口370万人の超巨大都市である。この全てに於いてスケールの違う政令指定都市に何かを質問するのも憚られると言うのが通常の感覚であろう。しかしスケールの差こそあれ行政が市民に対する姿勢は基本同じである。その意味に於いて非常に参考になる視察であった。しかし、先程も言ったが横浜は大きい。これ以上の規模を誇る都道府県も5団体程度しかない。安っぽい男の夢だと笑われるであろうが、男子たる者このくらいの街で大暴れしてみたいものである。あくまでも、政治の世界の話である・・・冒頭でも言ったが今回は政務活動費を利用しての視察であった。夕食については横浜中華街で食べさせて頂いたが、当然これはすべて手出しである。みなとみらいの日本一美しい夜景もそこに宿泊したわけではなくホテルから徒歩で行ける山下公園から眺めるだけだ。政務活動費云々以前に若干の寂しさは拭えない。
いつも言うが本来の視察のダイナミズムはその地域の風を感じて初めて伝わるものである。世間の大変厳しい議員活動に対する風当たりは充分に存じ上げてはいるが、それのみに固執し萎縮してしまえば議員は非常に見識の狭い人間ばかりになる可能性もある。しっかり勉強させても貰う。それを地元に活かす手法も、それこそ頭が痛くなるほどに考えよう。加えてこのように誰が見てくれているかは知らないが報告の義務もしっかり果たそう。そういった議員がいて少ない政務活動費に嘆いている現実がある事も知っていて欲しい。ともあれ対応してくださった両市の関係者の方々に心から感謝を申し上げる。大変勉強になりました。
しかし、藤子不二雄記念館、行きたかった!!
2014年11月12日
春日市文化祭・市民表彰式
桜ヶ丘でも同日開催であったが春日市に於いても11月最初の土日は華々しく文化祭が開催される。数多くの文化教室やサークルに日頃から通われている一芸に秀でた皆様方の作品の数々を一堂に拝見させて頂くことが出来る貴重な機会である。今年は体育館が使いにくい状態であるので昨年楽しませて貰った高校生による習字のパフォーマンスこそ無かったものの、陶芸から絵画まで、本当に幅広い作品を見学させて頂いた。下らない文章こそつらつらと書くものの、芸術の類とは全く無縁の私である。作品の数々を拝見させて頂くにつけ、自らの修行の足りなさを唯々反省する事しきりである・・・いや、昔は絵画の世界においては「神童」とまで呼ばれた事もあった気がするのは、もしかすると私の勘違いであったのかも知れない。私の様な無精者でさえ作品を見て「私もやってみよう」と思うのだ。この事だけでもこの文化祭の意義は大変大きいと言えるであろう。今回は時間的に間に合わなくてお茶もゆっくり頂くことが出来なかったが、少なくとも私の後援会長の陶芸の作品は拝見させて頂いた。寸評など無い。間違いなくこれは素晴らしい作品だ!と言う事で皆さんもご納得を頂きたい。
併せて11月三日の文化の日は春日市の自治文化振興の為に日頃より尽力を頂いている方々を表彰する「春日市表彰式」が開催された。例年市の政治や自治会活動に多大な貢献の有られた方が推挙されるのであるが、今年はいつも同じ自治会で活動をし、加えて少年補導員として日夜活躍されている私の尊敬する大先輩が表彰を受ける事となっていたので町内の自治会長、広報部長、老人会長と一緒にその雄姿を拝見させて貰いに表彰式に参加させて頂いた。
今年も50名近くの方が表彰を受けられていたが、その方々の日頃のご活躍を知れば知るほど唯々頭の下がる思いである。元々春日市は住民による自治活動が活発な地域であると言える。その中でもぬきんでたご活躍をされている方々を知れば「我々はこれで良いのか」と議員として胸が痛くなる。更に頑張らねば、それこそ「議員不要論」になりかねない。ある意味そんな危機感を持って毎年この式を拝見させて貰っている。ともあれ、同じ町内の方が受賞されたのは手放しで嬉しい限りだ。その颯爽たる雄姿を見てこちらまで華々しい気分になれた。で、あまりうれしいので町内の方々と一緒に記念撮影までしてしまった。
常に言っているが本当の意味で公を支えているのは私利私欲を捨てた「無私」の精神である。結局「世のため人の為」と言う熱い思いが無ければその人の志は伝わらないのかも知れない。正に今回受賞された方々はその代表の様な方々であるし、私としては彼らの姿を見て己の欲に塗れた愚かしさを唯々痛切に反省するばかりである。もっとさらに自分を磨かねば笑われてしまう。そんな思いを強くした。それはさて置き、受賞者の皆様本当におめでとうございます。今後も更なる飛躍を祈念しております。
関係者の皆様、大変お疲れ様でした!!
2014年11月10日
太宰府特別支援学校文化祭見学
同じ町内に住まれている大変良くしてくださる方の御子息が通われているので数年前から勝手にお伺いをさせて貰っている福岡県立太宰府特別支援学校の文化祭に今年もお邪魔させて頂いた。今年は特に夏の間に陸上やフットサル教室で一緒に体を動かしたことも経ちの姿も見れればいいと思っていた。毎年の事であるがこの一年間の間に子ども達が一生懸命作ったのであろう作品の数々の展示には心が熱くなるものがある。技術論を遥かに超えた魂の様なものがいつもそこに垣間見えるのだ。当然の様に私には芸術を介するような高尚な心は一切ない。しかしであるが故にテクニックや技法に一切拘らない子ども達の作品は直接心に訴えかけてくるものがあるのかも知れない。
今年は初めて時間が合って中学生や小学生のダンスや劇の発表を拝見させて頂いた。私はこれを寸評するような立場にはない。ただ、子ども達が一生懸命同じ振付を必死に覚えて演じようとしているその姿にとめどない涙が流れただけだ。綺麗事ではなく間違いなく子ども達を取り巻く状況や将来を思えばすべてが順風満帆のはずもない。しかし、私がこれまでに触れてきた多くの保護者の方々は、そのご苦労を一切知りもしないで唯々心配だけを繰り返す私の様な未熟者を叱り飛ばすかのように常に前向きで明るい。そしてそれをまるで励ますように子ども達は一層明るい。偉そうに言えば行政としてやらなければならない事はそれこそ五万とある。これを知るためにもやはりこの輪の中に入っていけなければ到底「福祉」など語れるはずもない。子ども達に勇気付けられているようでは駄目なんだがどうしても子供たちに背中を押されてしまう。そんな勇気を改めて頂いた文化祭だった。応援できることは実際たかが知れてもいよう。だができる事を続けて行く。そんな誓いを新たにした。一緒に頑張ろう!!今は漠然とそんな思いである・・・
2014年10月29日
春日市あんどん祭り
祭りの一番の華は何かと問われれば、多くの方が躊躇う事も無く夜空に大輪の花を咲かせる花火であると答えるであろう。福岡に於いても8月の上旬から大濠公園花火大会や筑後川花火大会、また関門橋花火大会と大小さまざまな花火大会が各地の夏の風物詩となっている。以前はこの中に「春日市行灯祭り花火大会」が燦然とその名を轟かせていたものであった。しかし、あまりに交通の便が良すぎる事から人が集まり過ぎ、今一歩で将棋倒し等の大惨事と言う事態に陥ったこともあって数年前に祭りのメインを花火から他の物に移行するようになった。これが現在のあんどん祭りである。弥生時代の遺跡を多く有す春日市に於いてあんどんの灯りを見守る事で古人の生活を慮ろうと言う趣旨で祭りを再構築したものである。会場である県営春日公園に大会当日の朝から多くのボランティアスタッフが集まり公園の各場所に行灯を設置しそれに灯を燈していく。口で言う以上に骨の折れる作業である。しかしやはり普段から電気による灯りを見慣れている現代人にすればこの蝋燭の灯りは見ているだけで心の休まるのも事実である。しばし秋の気配の漂い始めた風景に見入る事のできる貴重な時間である。
今年で新しい祭りの形に移行してから4年目を迎えるのであるが、ようやく様々な意見も取り入れて市民にも定着してきた感のある祭りである。先程から言っているように行灯の灯は間違いなく見ているだけで心が癒されるものだ。また多くの市民が協力し合ってこの祭りを成功させようと努力されている姿も大変素晴らしい。私もこの4年間お手伝いをさせて頂いているが運営も非常にスムーズになってきている。また派手さこそないが間違いなく市民も楽しみにされているのも伝わってくる。しかし、ではすべてが満点かと言えばやはり若干厳しめの視点も必要であろう。と言うのも、近年各地に於いて同様の祭りが開催されている事にも着目すべきであろう。春日市の近隣でも大宰府や福岡でもこの行燈を使った趣向を凝らした祭りが実際に行なわれているのだ。何も現在のかすなお祭りが悪いと言うつもりは一切ない。無いが、やはり大きな予算を使ってこれを実行する以上、他市にはない、春日市独特の祭りの趣向を凝らして市民が本当にこの町の良さを再認識できるような、そんな工夫は必要であるのかも知れない。偉そうに言いながら「ならばお前にアイデアがあるのか?」と問われれば明確な答えは持ち合わせていないが、それでもすべての人々が知恵を出し合いあるべき姿を今後も模索し続ける姿勢は必要であろう。間違いなくこの市は、それを具現化する住民のパワーはどこよりも強いのであるから。
祭りの二日目に開催された商工会の夜物産展も大盛況であった。本当に多くの方々が献身的な御努力をされている。素晴らしい祭りである。ただ更にもっと上を目指して歩みを止めないで頂きたい。関係者の皆様、本当にお疲れ様でございました!!
しかし行灯は付けるよりも消す方が面倒くさい・・・
2014年10月28日
段ボールハウス作り見学
昨年も拝見させて頂いたが、今年も白水小学校おやじの会の全面協力による家庭教育学級の一環である「段ボールハウス作り」教室が開催されたので見学させて頂いた。小学校の体育館に所狭しと並べられたダンボールが少しづつ思い思いの形になっていく様は圧巻の一言である。聞けば白水小学校ではこの家庭教育学級よりもさらに本格的なハウス作りを別に開催しており、その際には実際に一泊その中で宿泊するまでされていると言う。今年の大会に於いて作られた作品の写真を拝見させて頂いたが高さが優に3mはあろうかと言う、とても俄か造りの物とは思えない様な凄まじいものまであり驚かされた。時間の関係上この日の教室ではそこまでの物は作れないが、それでもそれぞれ形を工夫して親子で一生懸命一つの物を造っている姿は見ていても気持ちのいいものである。
私が子どもの頃何よりも憧れたのは大人には内緒の秘密基地の作成であった。全く私の想像であるが「トムソーヤの冒険」にも描かれているように子どもにとってそういった場所の存在とその創造はきっと成長の過程において不可欠な存在であるのではないだろうか。これを地域のおやじ達が後押しをする中で作っていく。本当に素敵な教室だと思う。大胆にダンボールを切断し組み立てていく大人の姿の逞しさを子ども達は感じつつ、自分の夢の形を具現化していく。ある意味ここには全ての子どもの楽しみが、いやあるべき姿が凝縮されているのかも知れないとさえ思うほどである。材料となる多くの段ボールを集めて頂くことからおやじの会の皆様に於かれては大変なご苦労であったと思われる。心から感謝を申し上げる。加えて、いつもであるがこういった企画を実行される社会教育課の皆様のご努力に心からの敬意を表するものである。本当に素敵な風景を見学させて頂いた。
全ての関係者の皆様、本当に有難うございました!!
2014年10月22日
さげもん(つまみ細工)作成準備見学
春日市の社会教育課は実に様々な取り組みをやっていて、この日々の御努力については常日頃より頭の下がる思いである。今回見学をさせて頂いたのはご高齢者の方々を対象にした「人生楽座」の授業である。その中で柳川辺りでよく見られる雛飾りのつまみ細工を作っておられた。まあ、恐ろしいほどに細かな作業で私も受講生の方から「針に糸を通して」とお願いされたのであるが、それこそ虫眼鏡が必要なほどの穴の小ささで尋常で無い位に悪戦苦闘してしまった。
いや、「ご高齢者にしてもらうならもっと簡単な作業を」と思わなくもないだろう。だが、これはあくまでもタイトルにあるように準備なのだ。と言うのも、これから二ヶ月ほど後に開催される現役の小中学生のお子さんを持たれている方々を対象に開かれている「家庭教育学級」に於いて、本格的に名さげもんの作成講座があり、この方々はこの日のための下準備と、加えてその時の指導の手順を確認されているのだ。現役のお母さん達と、またご高齢者の方々が別々にこういったものを作成すると言う講座ならそれこそ全国で山のように存在するだろう。しかし、世代を超えてこれを行い且つご高齢者には指導者としての役割を、当然若いお母さんには生徒の役割を担ってもらうところがこの講義の最も意義あるところだ。当たり前の話だが誰でも頼りにされることくらい嬉しい事も、またやりがいがある事も無いだろう。この場を極めて自然に提供するところが素晴らしいではないか。実際に若干目に衰えが来たとは言え針仕事においては圧倒的に実績のある方々だ。これは教えて貰える機会があればこれほど有難い話は無い。加えて若い方々は普段から何かを教わる事に慣れていない。それも解消できるであろう。そしてこれはまた次の世代に引き継がれていく。生涯学習のサイクルをこれほど見事に具現化した講座は珍しいのではないだろうか。まあ、私は兎に角針に糸通すだけで汗だくであるがご高齢者の方々はそれこそ涼しい顔をしてこれをこなしていらっしゃった。正に一日の長?見習うべき点が多々ある。それを再認識できるだけでも十二分に意義深い。お世辞でも何でも無く、本当にわが市の社会教育課のスタッフは一生懸命にやってくれている。頼もしい限りだ。いや、これを見せつけられて感心しているだけでも駄目だろう。我々議員として何が出来るかを更に危機感を持って考えなければ、それこそ行政のお荷物になりかねない。、まあ、毎回毎回本当に異論の事を考えさせられる。感謝である。今回も作業中にお伺いして大変申し訳ありませんでした。ありがとうございました!!
2014年10月19日
理想の家族講演会
春日市の人権政策課の主催で開かれた「理想の家族」についての講演会があったので行ってきた。なかなか独特の経歴と感性のお持ちの講師の方の講演であったとしか言いようがない。まあ、この日の結論としては規定概念に拘らず他人を尊重し様々な価値観を認め合いましょうと言う事で目出度し目出度し、と言った所である。
まあ、聴きなれたフレーズであるし言っている事も昨今の流行のそれである。「様々な価値観を認め合う」美しい言葉だ。仰る通り最近では実に様々な価値観が容認されてきているしネット社会の広がりに合わせてその個々が情報発信力を持つために其々が市民権を持ち得る社会になってきている。これは決して悪い事ではない。何も私たちが言われ続けてきたような「一流の大学に行って一流の会社に就職し定年まで勤め上げる」のが男性の在るべき姿であるとも思わないし、加えて女性は「親が決めてきた旦那さんと結婚し家の中でしっかり旦那を支える」事が正しいなどと言う前時代的な考えが全てではないと言う事は誰でも解っている事だ。これを決して否定するつもりはない。ただ、ここで気掛かりなのは、ならばその「多様」な価値観は一体どこまで容認できるのですか?と言う点だ。公共の福祉に反しないならと言う見方もあろうが、抑々その「公」に対する考え方即ち価値観が違うのであればこの定義が極めてあいまいになる。上手い喩が見つからないが、例えば一切匂い等を発生させない不燃物を屋敷一杯に集める人はどうだ?異臭も発さない火事の危険も無いだろう。だが隣に住むものにしてみると異様である事この上ないし、ある種の恐怖すら感じるかもしれないだろう。これを「多様な価値観を認めましょう」で片付けるのだろうか。確かに法に触れないなら、加えて人様に迷惑を掛けないなら、ある意味最大限その人の趣味嗜好は否定されるべきではない。しかしそれでも大変多くの人が不快と感じるものは歴然と存在する。何も魔女狩りや衆愚的な意味での大衆嗜好を言っているつもりはない。ただこの中には間違いなくある種「モラル」や「道徳」とされてきた漠然とした概念も間違いなく存在するのだ。確かに他人を尊重する事は正しい。だがある意味それを野放図に行えば無責任になりはしないか?全てが善意によって行われる行動であれば容認も出来ようが大変申し訳ないが世の中には悪意も満ちている。決して無条件で「様々な価値観を認めましょう」とはならないのではないだろうか。偏見は取り払うべきだ。しかしであるからと言って全てが自由な訳も無い。この折り合いを何処で付けるのかがむしろこの先の社会に問われている事の様な気がしてならない。まあ、その意味で大変多くの事を考えさせられた講演会であったとは言える。勉強になった。関係者の皆様お疲れ様でした。
2014年10月17日
春日の小水城講演会
これまでにも何度か触れてきたが、水城とはその昔大和朝廷が九州の政治の中心地である大宰府を新羅からの攻撃に備える為に現在の太宰府に築造された、言わば防壁の様なものである。今年はこれが作られて1350年の節目に当たる。今説明したように水城と言えば太宰府にあるものが最も規模も大きく有名であるが敵の侵入を防ぐためにはそこだけでは不十分であったが故に、この春日市に於いても小水城が存在していた。数年前の調査ではここから大変重要な資料も発掘されており当時の築城技術等の解明に大きく寄与しているのだ。念のために言っておくが春日市の小水城跡は国指定の遺跡である。その名の通り極めて歴史的価値が高いと思って頂いて間違いない。この日は九州大学名誉教授である西谷氏を奴国の丘歴史資料館にお迎えして水城一体の当時の防衛の在り方を御教授頂いた。
この中で大変興味深かったのはこの水城を筆頭に当時の大宰府はそれ一体を取り囲む羅城であり、その証拠に遠く久留米に至るまで堤の跡があると言う事であった。これは即ち当時の唐や新羅が大きく島原半島や有明海を超えて大宰府に侵入してくる危険性に備えての事であったと言う。まさに目から鱗の話であった。ただ、実は私はこの案に素直に首を縦に振れないでいる。いや、現在の地理的な知識で考えれば防衛のためにそれは必要な備えであろうし充分理屈の通るものだと思う。しかし当時の地理的な概念を考えれば、それこそ海の物とも山の物とも思えない、果てがどうなっているのかわからない九州島原半島をぐるっと回って他国が攻めてくると言う事が常識的に考えられたであろうか?戦いと言う、それこそ勝利以外の物は求められない状況下にあって、今考えても冒険の様な危険を冒してまで敵が攻めてくると考えられるであろうか?遺跡が示す通り間違いなく大宰府が水城を筆頭に羅城であったと言う切に験を挟む余地はない。しかし、博多湾側に面したそれと久留米方面にあるそれとでは性質と言うか対象が違うのではないか?即ち、これはそれこそ先の白村江の戦いに於いても駆り出されはしたものの敗戦により何の恩賞も無く疲弊し不満のみが溜まった九州内の豪族に対する備えであったと考える方が合点がいく気がするのだ。でないなら島原半島の口之津漁港辺りに防人を置いてないと理屈に合わない。大変残念なことにこの日は教授とここまで深く議論することは叶わなかった。しかしそういった思いを馳せられるのもまた歴史のロマンである。お世辞抜きで、大変参考になる非常に興味深い話であった。セッティングを頂いた多くの関係者の方々に心からの感謝を申し上げる。素敵な講演会でした。ありがとうございました!!
(注:現在地名としては太宰府が正式であるが、当時の執行機関としては大きな宰府、即ち大宰府が正式名称であったことから敢えて意識をしてこれを使い分けさせて頂いた。しかし、ここに拘るくらいならHP内に数多見られる打ち間違いに気を遣えと言うご意見は耳が痛いので敢えて聞こえないふりをさせて頂く…)
2014年10月16日
春日市スポーツフェスタ
下記の「ビーチボールバレー」もその一環であるのだがわが春日市においては9月の下旬から10月常住の一か月間に渡り各地で様々なスポーツに市民の方々に楽しんで頂けるようにスポーツフェスタを開催している。その最終日に総合開会式を行っておりそれに出席してきた。この日は主に子供のドッチボール大会と成年の綱引き大会が行われるため会場には多くの地域から参加してきてくれた子ども達で賑わっていた。地域での繋がりも、また学年を隔てた縦の繋がりと言う意味でもこういった大会が持つ意味は極めて大きい。いつもとは違った環境でスポーツを楽しむ事それ自体が大変重要な価値を持つものである。
加えてこの日は市のスポーツ推進委員の方のご協力により様々なニュースポーツの紹介がなされていた。これも本当にありがたい事業だ。ここで私自身初めて知ったのだが、先週これ以上ないと言う苦杯を舐めたビーチボールバレーもたまの重さが行く種類もあり軽い球だと幾ら強く打とうが決して速く飛ばないと言う工夫がなされるとの事である。ならば最初っからその玉を使って地域間交流の競技にすればいいじゃないか!!と、若干の怒りまで込み上げてきた。まあ、それはさて置き、それこそどんな高齢者の方でも十分に楽しめる工夫がしてあるニュースポーツが幾らもあった。是非、行政にはこれを広く普及して頂いて高齢者の新たな集いの場造りに活用して頂きたい。体を動かすことの意義は誰でも知っている。しかし年齢を重ねると間違いなくその機会を失うし、一人でしても面白くない。後の事は兎も角、きっかけ作りは行政が積極的に関与して良いのではないだろうか。是非、これからもスポーツ振興に力を入れて頂きたい。
全くの蛇足であるが、この開会式の際、私が所属する総務文教委員会が所管であるが故にご招待を賜り壇上に席を用意して頂いた。が、紹介は「市議会議員の皆様です」と、それこそ、これ以上の十羽一絡げ的な扱いは無いと言う有様であった。これは先日のお祭りに於いても同じだ。いや、別に紹介して欲しい訳ではない。だが来賓として扱うならそれなりの礼はあるはずだ。実際このHPを見て頂けば分かると思うが市が行う行事で私自身が見るべきだ、もしくは参加すべきだと感じるものは当然自らの意思で参加をさせて頂くし見学もする。その際紹介など一切求めもしない。しかし、招待をしたならそれなりの扱いはあって然るべきではないか?いや、これほどひどい扱いを受けるなら別に招待などして貰わなくていい。議員が特別に偉い訳ではない事は重々承知している。ただ、壇上に挙げてわずか7人を紹介するのにどれほどの時間がかかる?選挙で市民から負託を受けてここにいるのも紛れもない事実だ。これに対する扱いが行政が疎かになれば当然の様に市民もそうなる。これが正しい在り方とは思えない。実に小さい事を言う男だと笑われるだろうがこれは非常に重要な事だ。周囲に強要はしないが自分では誇りある職業であると私は思っている。どうもそのあたりに大いなるずれを感じている今日この頃である。
ともあれひと月に及ぶ長い大会の運営に携わって頂いた関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます!!
2014年10月05日
ビーチボールバレー大会出場
8月に自治会の作業をお手伝いしている時に、ふいに後方から普段からそれほどよく話す事の無い地域の女性から声を掛けられた。「さかきさんビーチボールバレーします?」えっ?何のこっちゃ??名前は聞いたことあるが当然したことも無い。「いや、したことありません」すると「いえ違います。これからして下さいと言う意味です」なんだか私にはよくわからない不思議な力が働いているらしい。
皆さんはビーチボールバレーと言う競技を御存じだろうか?これはバレーと似たルールでボールをビーチボールを持って行うと言うものだ。ニュースポーツと言って良い。まあだれでも気軽に楽しめるように工夫されたルールであるしこの夏ハードなスポーツをこなしてきた私にしてみれば未経験でもそれほど苦もあるまい。と思い参加させて頂くことにした。目標は春日市スポーツフェスタでの優勝だ。それから4回、金曜日の夜に皆さんと一緒に練習して大変楽しい気分で大会に挑んだ。が!!それまでのほのぼのとした気分は会場に入った瞬間に消え去った。まあ、どのチームも尋常で無い程に気合いが入っている。因みに私の所属する桜ケ丘チームの構成は70代のお母さん二人と50歳の私。加えて30段後半で運動神経は抜群であるが、私同様急遽助っ人に呼ばれた未経験者の4名のみ。選手交代も出来ない。だが他のチームはまるで全日本か?と目を疑わんばかりの陣容でしかも明らかにバレー経験者がうようよいる始末。ほのぼのムードの私のチームはまるで猛禽類の下りの中に放りこまれた小動物よろしく、戦う前から戦意消失状態である。加えてこれらのチームの全てが戦いに一切手を抜かない!!いや、姿勢としては素晴らしいのだがこちとら70代のご高齢者を抱えているんだぞ!!少しは手加減って言葉があっても良い様な気が・・・まあ、優勝どころか1セットも取れず大敗を喫し予選敗退。まあ、私も私なりに頑張っては見たが実力差は如何ともし難く、加えて気持ちとして何処か白けてしまって是が非でも勝利を!と言う気分になれなかったのは事実であるしこれはもう一人の助っ人君も同じ感想を漏らしていた。
いや、惨敗を喫しておいて大会運営に文句を付けるのは基本卑怯な行為である事は重々承知の上で、それでも敢えて申し上げるが、これって完全に運営がと言うかルール設定がおかしいだろう!?競技としてその水準向上を目指してレベルの高い大会をいくらしてくれてもなんの文句も無い。どんどんやればいい。だが、これは市のスポーツフェスタで地域間交流の大会だろう?それこそご高齢者から子供まで一つのスポーツを通じて交流し楽しく和気藹々と愉しむ物ではないのか?子どもの野球大会に実業団連れてきて勝った負けたもない。盛り上がりたい人間は勝手に盛り上がっていろと言いたくなってしまうし、実際に私と一緒にこの競技をして下さったご高齢者のお姉さまは来年は出ないと明言されていた。そりゃそうだろう出るだけ無駄だ。これって当初の大会趣旨なのか?と負け惜しみを言いたくなるほどに配慮が足らない大会だったと言わざるを得ない。まあ、それでも一応不貞腐れてもこの言葉は掛けるべきだろう。優勝されたチームは本当におめでとうございます。しかしどちらかと言うと我自治会同様に惨敗したチームの方と愚痴を言いながら一杯やりたいそんな気分である。ともあれ、大変楽しいひと月でした。足ばっかり引っ張りましたが皆さんお疲れ様でした!ありがとうございます!!
2014年10月04日
奴国の丘フェスタ2014
今年で4年目となる奴国の丘フェスタが開催された。当初は、大変申し訳ないが「いったい何がしたいのだ?」と首を傾げる事が多い内容であったし、実際執行部としても手探りで始めた印象は無きにしも非ずであったろうから当然の様に我々うけての側に明確なコンセプトが伝わらなかった感は否めないであろう。しかし4年目となる今年はある意味明確にやりたいことが見えてきたと言うか、非常に運営がこなれてきて見応えがあるものに仕上がっている感がある。定着していくお祭りと言うのはある意味こういった過程を必ず経るのであろう。司会を担当していた若手の芸人さんも実力が確かであったしゲストも其々立派に意味があった。また会場内での催しも、祭りの発端である「春日市は弥生時代の遺跡の宝庫」である事を来場者に伝えるための工夫がなされているし会場のどこからも不満が聞こえなかった。
またメインである歌のゲストには、私の大好きな「天空の城ラピュタ」の主題歌を歌った「井上あずみ」さんを迎え、大変有難い事に春日市合唱団の子ども達と一緒に「君をのせて」を歌ってくれた。大ファンである私は当然の様に涙が出る程に嬉しい思いであったが子ども達にも一生の宝物となる貴重な経験となってであろう。大変申し訳ないが、この時ばかりは期せずして私も役得を活かさせて頂き憧れの彼女とツーショット写真を撮らせて頂けた。私にも一生の宝物だ。
素晴らしい企画と素晴らしい天気。加えて素晴らし唄声。完全に個人的な趣味嗜好の採点ではあるが満点を与えても足りないくらい素敵な催しものであった。ただ唯一、苦言を言わせて頂けるのであれば、司会を務めたブルーリバーの二人の漫才のネタは「野球ネタ」であって欲しかったと個人的に思ったりするが、これはこれでマニアすぎるだろう。
ともかく素敵なお祭りであったことは間違いない。関係者の皆様本当に有難うございました。お疲れ様です!!
2014年10月01日
クラフトアート展観覧
主に知的障害がある子ども達の社会参加の一環として、其々の子ども達が一生懸命に描かれたクラフトアートの展覧会が開催されこれを見学させて頂いた。
いつも言うが私はこの歳にしてようやく障がいのある方と積極的に触れ合う事を心に決め未だ勉強途上の身の上であるし、加えて言えば絵画に代表される芸術については一切のセンスを持ち合わせていないと言う正に門外漢である。この絵を描き上げるのにどれほどの苦労を伴い、またそれに関わる方々達がどれほどの想いでいらっしゃるかをその実知りはしない。なので本来これらの絵画に私が論評を加える等と言う事は失礼千万会話である事は十分承知をしている。しかしそれでもあえて言わせて頂きたい。あくまでも想像の域を出ない話であるが、これらの症状がある子ども達に本来ペンを持ってキャンパスの前に座らせること自体がどれほどご苦労を伴う話であろう。それこそ口にするのも憚られるほどの葛藤がそこにはあるはずである。そしてようやく完成してる作品の数々だ。1枚の絵に込められている強い感性はそれこそ痛いほどに伝わってくる。敢えてご批判を覚悟の上で言わせて頂けるのであれば、これほどの絵を描ける子に一体何の障害があるのかと疑いたくなるほどに感性豊かで素晴らしい作品に圧倒される。展覧会に合わせてこれらの絵画に関わられた先生の講演会も解され拝聴させて頂いたが、やはり当初は想像を絶するご苦労がありその後に子ども達が日常的に海外向き合うようになるのだと言う。大変勉強になる講演であった。この時紹介のスライドの中に気になる1枚があった。
これはある自閉症の子供が描いた作品だそうだ。本来こういった絵画は著作権の問題もあるのでこのような掲載の仕方が好ましくない事は承知をしているが敢えてお許しを頂きたい。私は正直この絵に、これまでに覚えた事の無い衝撃を覚えた。良く見て頂きたい。この絵は背景に「恐竜の屏風」が描かれているのだ。我々の感性の限界は「屏風は古式ゆかしき物」であるはずだ。そこに描かれている物は例えば松であったり鶴であったり美人画であったりとある一定の制限が付くはずだ。ここに恐竜を描くのだ!!これはもう良い悪いの問題ではない。我々の常識の枠を遥かに蹴破った正に超人的な発想だ。いや極めて驚愕し褒め称えているのだ。こういった規定概念を打ち破る発想こそ正に天才のそれではないか?「ソーシャルインクルージョン」の考え方の中に「障がいがある人も一つの個性である」と言うものがある。全くそう世間があるべきだと思うが、これはもう唯の個性ではない。ある意味我々のはるか上を行く強烈な個性だ。間違ってもこれが阻害されるような社会であってはならない。この思いを更に強くした。ただ当然の様にこれらの活動に関わっておられる方は我々の想像よりはるかに大変な思いをされているのも未だ悲しい事実であろう。この痛みは本来社会全てで分け合うべきものだ。そんな社会を実現すべく活動を続けて行かれている方々の崇高な思いに頭が下がる思いである。今後も私も出来る事を続けて行きたい。本当に素晴らしい展覧会出ったし講演会であった。
関係者の皆様、本当に有難うございました!!
過去の市議会関連へ
このページの先頭へ
個人活動
2015年05月01日
選挙活動
平成27年の統一地方選挙が終了した。2期目を目指して挑戦した私である。
当初より自分自身の信条もありこれまで議員職一本に打ち込んできたため大きなお金を用意する事も出来なかった。しかしそれでも選挙は行わなければならないと周囲からすると完全に出遅れた感のある選挙戦のスタートであった。
1月の中旬から今回の選挙に向けての趣意書作りを始めた。4年間の活動を皆様に知ってもらう為に写真を多くしようと言うのは以前から決めていた事だった。しかし予定外だったのは自らの活動報告と考えを知って貰うべく作成に取り掛かった会報が思いのほかの文章量になり結局A3用紙にすると14枚ものボリュームになってしまった。この出費は軽くはないが自らの活動を知って頂く為にはやむを得ないだろう。
この製作に合わせる形で準備をしたのが下にも報告させて頂いているが「市政報告会」と銘打った事実上の選挙活動宣言である。後援会には自治会役員の皆様が選挙応援を表だってできない状況を思えば桜ケ丘の現状で最強の布陣を引かせて頂いたと思っている。これにご参集いただいた方々の数は約140名。正に最高のスタートであった。その後トラブルが無かったわけではない。当初予定していた選挙事務所の都合が悪くなり変更を余儀なくもされた。だが、代替案としてこれも最高の場所を後援者の皆様の御好意でご提供いただきもした。2万枚もの趣意書も町内の方々、また古くからの友人が多忙な中にも関わらず文句の一言も無く配って下さった。後援会の申込書も以前よりずいぶん内容の濃いものを頂戴できた。書類もすべて整い、番号も3番と言う最高の数字を引けた。出陣式には雨の中、また解り難い場所であるのにも拘らず70名もの町内の方にお集まりを頂いた。正に最高の出陣式だった。
選挙期間中もっとも危惧していたうぐいす嬢も町の皆様や友人の奥さん、そして私の娘も載り、当初の心配が嘘の様に選挙カーから人が溢れるほどの賑わいであった。選挙戦終盤の総決起大会には地元県議や市長夫人。加えて私の師でもある武藤県議も城南区から駆けつけて下さり130名を超す大観衆の前で私に過分な応援のお言葉を頂戴した。最終日の遊説の後に事務所の前で出迎えて下さった30名を超す後援会の皆様と共に町内を練り歩きマイク治めをさせて頂いた。
写真を見て頂いても解るように、皆連日のハードなスケジュールにも拘らず笑顔満点でこれほど素晴らしい時を過ごしたことは私の人生で一度も無いと言い切れるほどに最高の時間だった。この笑顔を翌日の開票時に見ることが出来なかったのは、他の誰のせいでもない唯々私の不徳の致すところであり、すべて私の責任だ。本当に申し訳ない。写真に写る全ての輝いた時間や皆様の笑顔を思い出すとそれこそ涙があふれて留まるところを知らない。本当に、本当に申し訳ありませんでした。25人中23位。810票。これがこの4年間自分なりに必死でやってきた事に対する市民の評価だ。全く足りていなかったのだろう。自己満足に浸っていた我が身を情けなくも思う。逆にこれだけの皆様の御期待を裏切ってしまったことに痛切な謝罪を申し上げるしか今はない。ただ、本当に選挙期間中「人はこれ程に優しいのか」と思えるような得難い体験をさせて頂いたことは決して忘れる事はない。本当に有難うございました。力及ばずこのような結果になったことについて心からお詫びを申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
けれど今一度これだけは言わせて頂きたい。選挙に関わって下さった全ての皆様、本当に本当に有難うございました。私だけではなく家族も、このご恩は一生わすれることはありません。言い尽くせない感謝を込めて御礼申し上げます。
2015年05月01日
桜ヶ丘老人会松寿会総会
年度替わりでもあり、我桜ケ丘地区の老人会「松寿会」も総会が開催された。当日の参加者は90名。春日市内で最も多い100名以上の会員数を誇る老人会であるがその参加率もけた違いだ。如何にこの町の方々の結束が強いかが伺われる。
今後この国は猛烈な超高齢化社会を迎える。長寿である事は素晴らしい事なので高齢者に一切の責任はない。だが、社会全体としてその構造は間違いなく変化を強いられる。行政はこれに対応していかなければならない。だが、現実問題として、これを一気に解決できるような、それこそドラえもんのポケットの様な妙案がある訳も無い。当たり前だ。あればとっくにそれをしているだろう。ただ、現時点において唯一、その際の解決法に近い形を探すのであれば、それはご高齢者がいつまでも健康でいて下さることしかない。老いは誰にも訪れる。それに追い打ちをかけるように病もそうだろう。これに打ち勝てるような健康な精神を持って頂くしか現時点において高齢化社会に対応する手段がないのだ。大変誇らしい事にこの町の高齢者は皆さんお元気だ。其々ご自分で仲間たちと楽しく手を取りながら生きていらっしゃる。むしろ私が元気を貰うくらいにだ。役員の方々も会員の方々が楽しめるように常に工夫も忘れない。その事が自分たちの元気の源でもあるようだ。その姿勢も含めて見習うべきだろう。きっと今後の社会に向かうヒントがこの町にあると私は自負している。今年もきっと楽しい行事で目白押しだ。どうか皆さん思いっ切り満喫してください!!
2015年05月01日
平成27年度第1回桜ケ丘自治会組長会議
我桜ケ丘地区も平成27年度に突入し、いよいよ本格的に動き始めている。その手始めとして第1回の組長会議が開催された。
毎年の事であるがこの1回目の組長会議は非常に緊張する。初めて組長を仰せつかった人がこの1年間何をすればいいのかハラハラされている姿が手に取るように伝わってくる。組長さんの大きな仕事は組費を御集め頂くことだ。桜ケ丘の自治会活動の根幹をなす作業であるので大変の御足労ではあろう。だが、これだけは明確に言えるが、最終的に地域の事は地域で守っていかなければならないのだ。確かに行政と言う大きな組織はあり、これは地域住民のためにあるものではある。だが、地域と言うには余りの行政が扱う範囲は広大だ。当然手助けは行う。行うが最終的に最も身近で自分たちが守るべき、いや、自分たちを守ってくれるのは地域の自治会でしかない。これは時間的にもその気軽さ故でもある。我桜ケ丘地域の行事の多さは当市の中でも出色である。もしかするとこれが面倒だと感じる人もいよう。が、その頻繁なふれあいからしか生まれない絆もある。現にこの町はこれほどまでに活気にあふれ住みやすいではないか。横だけでなく縦の繋がりも出来る。どうか組長になったのを機に今後益々積極的に自治会活動に参加して頂きたい。また役員の皆様も今後様々なしかけを切に希望するものである。夜遅くまでお疲れ様でした!!
2015年05月01日
桜ケ丘子育てサロン同窓会参加
公民館の真裏に選挙事務所を構えたこともあるが、極めて自治会活動には参加しやすくなったので、今年度最初の桜ケ丘福祉部主催の「子育てサロン」に出席させて頂いた。と言っても実はみんなと食べるお昼ご飯のカレーが目当てだったことは言うまでもない。
今更言うまでもないが人間だれだって初めて経験する事はある。たいていの場合はその瞬間だけ初体験を経験してしまえばその後はまるでベテランのように振る舞うことが出来るものだ。だが、子育ては違う。子どもが生まれて日々成長していくその過程の一つ一つが、一瞬一瞬が正に初体験であると言える。以前であれば家に似たような体験をした、例えば母親や祖母がいて、その一瞬一瞬の不安さを取り除いてもくれたであろうが、核家族化された現在にあってはそれもままならない。当然の様に様々な情報はある。だが迷っている時期にあってはその情報すら子育ての重圧に拍車をかけるものでもあろう。その意味で月にほんの数回であっても地域でこういった催しをしてくれている事は母親にとってありがたいものであるはずだ。春休みだったこともあって事務所から公園を見ていると実に多くの子ども達が昼夜を問わずに声を上げて遊びまくっている。素晴らしい光景だと思う。幼少期から触れあう仲間がいて母親同士も親しく、それを地域の大人たちが優しく見守る。これが当たり前になればこの国も少しは変わるのかも知れない。目当てであった昼食のカレーも絶品だった。久々に参加した小学生の子ども達も大満足だった。こんな風景が当たり前になればいい。なればいいが、子ども達は覚えていて欲しい。今の時代これはとても普通ではない有難い事なんだと言う事を。ここに通わせてくれた親や周囲の大人たちへの感謝を決して忘れないでいて欲しい。当然私も忘れない。おご馳走様でした!!
あっ、いや間違えた関係者の皆様、お疲れ様でした!!
2015年04月14日
桜ケ丘地区自治会総会開催
今年度も私の地元である桜ケ丘地区自治会の総会が開催され、私も地元住民としては勿論であるが来賓としても出席させて頂いた。今回の参加者数も100名を優に超す大人数であり、この地域の自治会活動への関心の高さが改めて示された形となった。前年度の事業報告から始まる議案は今年度の会計報告、加えて人事案件まですべて全員賛成で承認された。もちろんそうであろう。私もこの一年間自治会の活動を共にさせて頂いたが文句のつけようが無いくらいに素晴らしいものであったし、それは参加者の多さが全て証明もしている。他地域に誇るべき素晴らしい自治会活動であると胸を張るような思いである。
毎回のように言っているが、私はこの街に来て自治会活動に参加させて頂く様になって驚くほどに得た物が多い。様々な活動について学ぶことも大変多かったし、何よりもかけがえのない人と人との絆を頂戴した。これは私にとって最高の財産である。町の繋がりが強い故に、当初はその結束の固さに若干の戸惑いを感じたのは事実である。しかし一度受け入れて頂けばこれほど暖かい街はない。其々の人が、自らの街に誇りを持ち、自らの手でその町を守り育てていく。そんな街の姿がここにある。本当にこの町を選んでよかったと心から思っている。選挙と言う大一番を控えてはいるが、もちろん今年度も町の為に私の出来る事をしっかりさせて頂きたいと思っている。役員の皆様や有志の皆様のお邪魔にならない様にしっかりついて行かせて頂く。内容、進行共に完璧な総会でした。関係者の皆様、お疲れ様でした!!
2015年04月05日
さかき朋之市政報告会・励ます会開催!!
結局こんな時期になって!とお叱りを受けそうではあるが、4年間、開こうと思いながらもなかなか実行できないでいた私の個人的な集会である「市政報告会」と、当然の様に選挙が近まってきたので後援会の方々に私を「励ます会」を同時に開催して頂いた。本来であれば最低でも年に一度くらいは開催すべきものであるのだが、桜ヶ丘の場合、月に最低でも二度は皆様と顔を合わせる機会があるのと、どうしても私の会に人が御揃い頂けるかが心配で二の足を踏んでいた。後援会の会長並びに名誉会長から「開け」と言う背中を押す声を頂戴し不安ではあったが準備を始めた次第である。桜ヶ丘のほぼ全戸に案内状をポスティングさせて頂き、地元の一番の達筆の方に看板を書いて頂き、自分なりにスライドも用意して準備に抜かりはないが、あとは人が集まるかどうか・・・
が、そんな心配は全くの杞憂であった。会場となった桜ケ丘公民館には130名以上の地域の方々がお集まりいただき椅子が足りない状況となり、急きょ前方に座布団を引いて対応すると言う嬉しい悲鳴であった。
会は後援会の会長の御挨拶にはじまり、名誉会長からも励ましの言葉を頂戴した。
御来賓として中牟田伸二県議と松尾県議にお越しいただき激励のお言葉を頂戴した。特に普段から親しくさせて貰っている中牟田県議はいつもの通り実直な人柄がにじみ出る挨拶で私も大変有難く感じた。
その後若干時間は前後するが井上市長も他会場から駆けつけて下さり15分以上も熱弁を振るわれた。後に市長曰く「貴方に触発された」と仰って頂いたが、時間を感じさせないトークは、正に「さすが」の域であると感心する事しきりである。
私自身は当初より「1時間は話す!」と明言していた通り、しっかりと一時間現在の市政や、我々議員や議会の役割について用意していたスライドを使ってしゃべらせて頂いた。「長すぎるか?」と思いはしたが、これでも4年分の思いの丈を考えれば短くした方である。ご容赦頂きたい。この中でどれだけ私の思いが伝わったかは解らないが、しっかりと議会の重要性や議員に求められる資質の重大さを話したつもりではいる。これを最後まで聞いて頂けただけでも私はこの会を開いた甲斐が十二分にあったと思っている。
今にして思えば4年前、随分と人様を舐めた甘い考えでこの地に降り立ったのは紛れもない事実であり反省してもしきれないくらいの恥ずかしい思いである。当然の様にこの町の方々もそんな私に懐疑的で、この場所で個人演説会を開かせて頂いた際には地元の方は20名もお越しいただけなかった。当然の報いであろう。その後、自分なりにこの地で出来る事をやってきたつもりではある。だが、その答えが今回の100名様以上のお客様だとすれば、私はこんなに嬉しい事はない。心の底から私は幸せ者であると思っている。選挙がどうなるかは解らない。この地域以外では今でも地縁も血縁も無い名も知れない一議員である事に変わりはない。だが、今現在選挙戦の真っただ中にあって、まるで私以上に自分の事の様に選挙に関わって下さる方々がこれ程に多い事に唯々目頭が熱くなる思いである。嘘でも何でも無く、心から素直に「この街を選んでよかった」と思っている。後は皆様の想いに応えるべくひたすら精進を続けるだけだ。後援会の幹部の方々も目一杯応援してくださる。最後まで頑張ります!!
準備から設営に至るまで本当に多くの方々にご協力を頂きました。ありがとうございます。決してこのご恩は生涯忘れません!!
2015年03月29日
桜ヶ丘老人会松寿会例会参加
今月も松寿会の例会に参加させて頂いた。今回はつい最近地元桜ケ丘に開業された「みなみクリニック」の院長先生をお迎えして医療講座が行われたのでこれも興味深く拝聴させて頂いた。今更私が言うまでも無く我が国の平均寿命は男女ともに80歳を超すほどに伸びて行っている。これは純粋に喜ばしい事だ。だが反面、この平均寿命と健康寿命に大きな開きが出てきてもいる。即ち多くの高齢者が何らかの病を抱えていると言う事だ。これはやはりよろしい事ではない。出来得る限り生きているうちは健康でいる方が良いに決まっている。この事を多くの人が考え、自らも予防なりを心掛けて行かなければならない。その事を考える意味において非常に有益な講座であった。
が、流石この桜ケ丘地区はこの点も抜かりがない。と言うのもこの日の参加者は会員の8割以上の80名超。この意識の高さは称賛に値する数字だ。其々の人が出来る事から健康について考えて行けば間違いなく世間で言われているような高齢化社会は暗いものではなく、いつまでも人が長生きできる黄金の社会になるはずだ。少なくとも私はこの桜ケ丘で暮らしている限りにおいてそう思う。お世辞でもおべんちゃらでも何でも無くて縁あって親しくさせて頂いている皆様がいつまでも長生きして欲しいと言うのは心から願う事である。今回も大変素敵な時間を過ごさせて頂いた。講演くださった先生並びにご尽力いただいた全ての関係者の方々に心から感謝申し上げる。ありがとうございました!
2015年03月25日
福岡県障がい者スポーツ推進会議
以前から何度か言っているが、私はふとしたきっかけから「障がい者スポーツ指導員」の資格を取り、障がい者のスポーツ参加へのお手伝いをさせて頂いている。いや、本当に指導員とは言ってもお手伝いをほんの少しさせて頂いているだけだ。しかし、間違いなくこの事は私にとって大変大きな財産となっている。数えきれないくらいに多くのものを教えて貰ったし考えさせられもしている。今回はこの私が所属している「福岡県障害者スポーツ協会」の平成27年度の事業推進会議が開催されたのでこれに出席してきた。
会議の中で来年度の事業計画もなされ今年度の事業報告もなされたのだが、この中にたった一行ではあるが上の方に掲載もされているが「春日市スポーツ指導員養成会議での特別授業」と言う一文があり、この事に1人で微笑んでいた。私の一般質問から発展し、市がそういった機会を設けてくれて、これを協会が大きな成果の一つとして列挙していてくれていた事は大変有難い限りである。間違いなく事業としては一年間に何度も行われている中の一つの小さなものである。しかし、こういった取り組みを各自治体が始めてくれれば、間違いなくこれは大きな流れになる。いつも言う話だが障がいのある方がスポーツをすることは本来「普通」の事なのだ。いや、普通でなければならないのだ。だが、大変厳し事にこれを行うには様々に超えなければならない条件がある健常者のお手伝いもその多いな要因の一つなのだ。我々が普通に生活するように、障がいのある方の介助をするのが普通の世の中になって行かなければならない。その手目には、こういった小さな事の積み重ねの中で皆がそういった意識を持って頂くことから始めるしかない。その意味で、私はほんの少しでもその一助となったのであればこんなに嬉しい事はない。今年も多くの子ども達と会える講座が開講されるであろう。時間と体力の続く限りお手伝いをさせて頂きたい。いや、どれほどの疲れも彼らの笑顔を見れば吹き飛ぶのだから。今年も頑張って活動します!!
2015年03月20日
雨の桜ケ丘自治会資源回収
3月1日は桜ケ丘地区の今年度最後の資源物回収作業の日である。どうも昨日から引き続き資源物に取りつかれている感がある。が!当日は桜ケ丘の行事にしては珍しく「雨!」。これはさすがに神様が「休みなさい」と言ってくれているんだろうと思っていたが、私も一体何年この桜ケ丘に住んでいるんだって話だ。これくらいの雨で桜ケ丘の行事が延期になるはずもない。当然の様に雨の中でも資源物回収は行いましたよ!!やると言ったらやるんだ!!桜ケ丘自治会を舐めるなよ!!
と言うのも、この日は一年間桜ケ丘自治会の特に育成部のお仕事をお手伝いして頂いた春日北、春日北中のPTAの役員の方々の慰労の意味での懇親会が開催されるようになっていて、お弁当の手配もしてあるので注視する訳には行かないと言う事情もあった。が、それ以前に町の方々の大半もすでに十分戦闘モードに入っておられて資源物にブルーシートを被せて待っている状態だ。これで回収に周らなければ大ヒンシュクを食らってしまう。本当にやる気満載の街だなここは・・・食事も大変美味しく頂いたし、役員の方々も本当に楽しそうだった。本当に一年間お手伝いありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。ただ、すみません町内の皆様。私の趣意書は資源物には出さない様にご協力お願い申し上げます・・・
関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!!
2015年03月19日
桜ケ丘資源倉庫搬出作業
一体いつになれば暖かくなるのだろう??二月の最終土曜日の早朝は桜ケ丘児童遊園に設置されている資源物倉庫の搬出作業である。朝6時。くらい!!眠い!!寒い!!と日頃から夜型の自分を後悔しつつ作業のお手伝いをやってまいりました。
今回は前回の搬出から日がそう経ってないので資源物の量自体は若干少なめではあった。それでもしっかり倉庫の中は一杯だ!!自治会の役員の皆様やPTAのお母さんも応援に駆け付けてくれて作業は無事終了。えっ?ちょっと待ってくれ!!明日って本当に資源物回収じゃなかったっけ??連荘で作業は続きます!
2015年03月16日
桜ケ丘福祉サロンでコサージュ造り
毎月一回開催されている自治会の福祉サロン。2月は新聞紙を使っての「コサージュ造り」である。社会福祉協議会の方が講師に来てくださって新聞紙での造り方を指導してくださった。紙を丸めたりほぐしたりと普段は決して使わない神経を使われて皆さん楽しそうに興じておられた。出来上がりは周囲から見れば充分に立派なものであると思うが、如何せん元が新聞紙であるが故に色鮮やかさはない。この点を非常にみなさん悔やんでおられたが、どうしてどうして立派なものである。
作業中何度も「お前も作れ!」と誘われはしたがこんなところで不器用さを披露する訳には行かない。お食事だけ御馳走になってきた。ここでいつも思う事だが、このサロン本当にその存在自体が非常に意義深い。一人身の方が対象なんだが、この方たちがこういった場所で人と話しながら食事ができる事がどれだけ価値のある事であるかを考えると、こういった企画に普段から係って下さっている方達に心から感謝するばかりである。加えて本当に毎回食事も趣向を凝らして一生懸命作って下さっている。もったいなくて舌が溶けそうである。地域が地域で支え合える。そんな環境程素晴らしいものは無い。何もせずに食事だけ頂く私は本当に果報者である。関係者の皆さん、本当に有難うございました。お疲れ様です!!
2015年03月15日
桜ケ丘自治会役員慰労会
月日の経つのは本当に早いもので、気が付けばもう一年度が終わろうとしている。毎年毎年様々な催しがある桜ケ丘の自治会であるが殆どの行事が終了し慰労会が増えてきている。今回は今年一年間組長さんを努めて頂いた皆様と自治会役員の皆様の慰労会が開催された。選考委員さんや評議委員の皆さんもお揃いになられて大変賑やかである。
春日市は間違いなく他の地域に比べると自治会活動が盛んである。古くからの「ムラ」の風習が残っていると言う事もあるが、何よりも行政がそうあって頂くことで行政にしてみれば公立の良い運営を目指したと言う点も見過ごせない。本来地域の事は地域で守り片づけるべきなのだ。これの足りない部分を行政が補うのが本来の有るべき自治の形だ。が、これがどうかするとまるで行政の足りない部分を地域に補ってもらっているような錯覚を覚える。この辺りの整理をきちんと行っておかなければ事ある毎におかしな衝突を招くことになる。ただ、そういった行政の思惑とは一切関係なしに、本当に掛け値なしで、この町の方々は自分達の街に誇りを持ち、為すべき事を率先して行っておられる。この自信と誇りは揺るぎ無いものであるし、これは他地域にも誇るべき点だ。別におべんちゃらを言うつもりはないが、本当にいい町に住ませて貰ったと心から思っている。この日も大変美味しいお酒を飲ませて頂いた。組長の方は大半が今年で交代されるが、どうか来年度以降も自治会の活動を続けて頂きたい。一年間本当にお疲れ様でした。関係者の皆様、ありがとうございました!!
2015年03月08日
夜間パトロール慰労会
毎月第2第4金曜日は桜ケ丘の夜間防犯防災パトロールの日である。加えて言えば下記にも書かせて頂いているが年末の5日間も特別警戒パトロールを実施している。桜ケ丘が凄いのはこれに多い日で30名もの兆民の皆様の参加がある事だ。はっきり言ってこんな町は他にはない。いつも言う話だが、如何にこの町の人々が自分の事は自分で、と言う住民自治の意識が高いかと言う表れであろうと私は誇りに思っている。と言う訳で、この日は、一年間夜間パトロールに御参加頂いた皆様への感謝の気持ちを込めて防犯部が主催してくれた慰労会であった。
心の底から美味しいお酒を飲ませて頂いた。加えて、尋常で無い程にありがたかったのは、何故だか急にこの慰労会が私の激励会のような様相を呈してしまった事であった。感謝の言葉しかない。よく町の方々から「議員なのに良くしてくださる」と言う過分なお言葉を頂戴する。が、大変申し訳ないがこれは大いに間違っている。自分が棲んでいる街のことをするのに議員もへったくれも関係ある訳がない。私はただ、街の事を住民としてしているだけだ。むしろ私よりご高齢の方々が、私の数十倍熱心にそれをされている様を見せつけられて指を咥えて見ている訳には行かない。ただ、それだけのことだ。それだけで、これほどの連帯感が生まれ「おらが町」の想いが深まるのであれば言う事はない。本当に素敵な町に住ませて貰ったと心から感謝している。例年の事ではあるが、この企画をし、御馳走をふるまって頂く防犯部の方々に心から感謝申し上げる。また来年も夜回り頑張りましょう!!お疲れ様でした!!
2015年02月26日
春日北小昔遊び授業
春日市で開催されているコミュニティスクールの一環として「昔遊び体験授業」と言うものがある。これは地域のご高齢者の方々が学校に出向き小学生たちに昔ながらの遊びを教えると言うものだ。この日、春日北小学校地域の老人会の方々が学校に出向き、あやとり、けん玉、メンコ、折り紙、竹馬、等を子ども達と一緒にすると聞きつけてまたまた学校にお伺いしてその様子を見学させて頂いた。
会場の雰囲気を上手くお伝えできないもどかしさはあるが、兎に角小学校の多目的ルームはこの時子ども達と高齢者が一体となって最高の盛り上がりであった。学校の授業とは一味違う雰囲気に子ども達もすっかりリラックスしていたし言う事を素直に聞いてくれる子ども達に高齢者の皆様も大喜びだったように感じた。人間何よりも大切なのは周囲に頼りにされていると言う事であると言う事を聞いたことがある。ともすれば核家族化の進行の中で孤立しがちな高齢者の方々であるが、やはりこういった機会に子ども達とふれあい、また頼られ、一緒に楽しく過ごせる時間があると言う事は最高の事ではないだろうか。子ども達も当然大喜びであったが、何よりも子ども達から「ありがとう」を言われて帰っていく高齢者の方々の幸せそうな笑顔はなかなかお目にかかることが無いくらい素晴らしかった。当然学校にはこなすべきカリキュラムが存在する。それに追われているのも事実であろう。しかし「お年寄りに優しく」を口で100回言うより、こういった授業と言うか機会を一度も受けてくれるだけで子ども達はそれを実感として会得できる。どうかこういった貴重な体験は増やして欲しものである。
ただ、「昔遊び」であるから今の子ども達が一切それを出来ないかと思えば大間違いだ。しっかり今の子ども達も出来る子は出来る。あやとりで子どもと勝負をしたがなかなかの腕前であった。何御ことはない私もしっかり笑顔を頂戴した。関係者の皆様、本当に素敵な時間でした。ありがとうございます!!
2015年02月09日
春日北小おやじの会餅つき大会
「なんで今頃餅つき大会?」と言う疑問は当然おありであろう。実際おやじの会の皆さんたちも年末にこの開催の計画を立てておられたのだ。だが、年末に福岡県内でインフルエンザが猛威を振るい春日北小も学級閉鎖を余儀なくされた。その影響がっあて年が明けて開催されたわけである。なので若干集まっていた人数としては少な目ではあったが、それでもしっかりみんな楽しんで餅つきに興じておられた。
いつも思う事だが、本当に最近の保護者の方々は子ども達のために様々な活動を熱心にして下さる。これは我が身を顧みると唯々反省する事しきりである。特に春日市ではコミュニティースクールを実施して学校だけではなく家庭や地域まで積極的に学校運営に参加しているので、こういった行事での盛り上がりは目を見張るものがある。子ども達の健全な成長を願って親御さんたちが骨身を惜しまない姿はいつも尊敬の念すら抱いている。当然、各場所において餅つき大会は開かれている。しかしやはり学校で、それも保護者が自分たちのためにやってくれているものは子ども達にとっても特別だろう。そんな楽しみがひしひしと伝わってくる。今回は地域の行事と重なったためお手伝いは余りできなかったのは大変申し訳なかった。次回は必ずお手伝いをさせて頂く。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!!
2015年02月08日
桜ケ丘資源物回収作業
今年最初の桜ケ丘地区での資源物回収が実施され当然の様に作業のお手伝いをさせて頂いた。いつからなのか全く記憶がないが、いつの間にか私はトラックに乗って地域の資源物を回収する係になってしまった感がある。夏の時期は良いが冬のこの時期は荷台で感じる風の冷たさは尋常ではない。まあ、動けるうちは喜んでさせて頂こう。
毎度のことではあるが、この資源物回収作業の時には、この桜ケ丘地区の住民参加の意識の高さを思い知らされる。老人会の方々をはじめ有志の方々やPTA役員と軽く50人近くの方が集まられる。多分、こんな地域は他にはないであろう。加えて今回は地元春日北中の生徒さん達も10名近く参加してくれたので、まあ作業がはかどる事!地域の繋がりが強いと正に良い事尽くめである。
今回資源物の量は前回との間隔が短い事もあり若干少なめであった。が、その中にあって正月があったことも当然関係あるが、まあ一升瓶の多い事!!この町の人は一体どれくらいお酒を飲んでいるんだ??肝臓や糖尿は大丈夫か??等と言いつつではあるがとてもスムーズに作業は終了した。町内の皆さん、本当にお疲れ様でした!!
2015年01月29日
桜ケ丘いきいきサロン「ミニ畳つくり」
毎月第3火曜日に開催されている桜ケ丘自治会福祉部主催の「いきいきサロン」に参加させて頂いた。この日のテーマはタイトルの通り「ミニ畳つくり」である。本職の畳屋さんに材料を持ってお越しいただいて、畳床に茣蓙を張りヘリを付けて完成させるものである。若干細かな作業ではあるが、参加者の皆さん大変楽しそうに作業されていた。こういった作業が脳に良い事は、それこそ実証済みである。本当に次から次によく様々なアイデアが浮かばれるものである。本当に福祉の事を真剣に考えておられるが故であろう。頭の下がる思いである。
この後はみんながよく知っている童謡等を百人一首に見立てて行うかるた遊びで盛り上がっておられた。いや、これはご高齢者の方だけでなく子ども達にもさせたい、そんな正月遊びだったので唯々感心してしまった。会の終わりはいつもの様に福祉推進委員さんが作ったお昼ご飯を頂戴した。この日は山菜の炊き込みご飯に「くちなし」を入れると言う生涯初めての味も楽しませて頂いた。掛け値なしに美味しかったです!!
毎回感じている事だが地域の事を地域で考えてそれを実践されている姿勢には頭が下がる思いだ・皆さん大変お忙しい中で福祉活動への参加は口で言うほど簡単な事ではない。感心させられてお腹まで一杯にして頂いて恐縮する事しきりである。月一度とは言え皆さんに元気なお顔でお会いできることは至上の喜びである。また来月もお伺いしたい。関係者の皆様、本当に有難うございました。おご馳走様でした!!
2015年01月19日
桜ケ丘松寿会新年歓迎会
下記に記載した「ほんげんきょう」が開催された同じ日に、桜ケ丘地区の老人会である「松寿会」の定例会と、併せて新年宴会が開催された。たったひと月の事ではあるが歳も改まり、また皆さんとお会いできたことが先ずもって嬉しい限りである。私は前日から準備をお手伝いさせて頂いたが、役員の皆様はその数日前から準備に取り掛かられていた。毎度のことではあるが頭の下がる思いである。また今回は大きな目玉として市内惣利地区から「すいとう会」と言うボランティアのちんどん屋チームにご来場いただき会場を大いに盛り上げて頂いた。素敵な演出であった。
私がこういった会の際に心の底から感心させられるのは、常に役員の方々が献身的に、御自分を捨ててまで会員の皆様の為に出来うるすべての御努力を為されていると言う点だ。普段はその見識の豊かさで市内でも大変有名な会長が自ら率先して道化を演じていらっしゃる。全てが「会員さんが笑ってくれるなら」と言う一心でだ。私にこれが出来るかと問われれば到底できない。そこまで全体の事を考えていらっしゃる崇高な思いに常に脱帽させられるし見習わなくてはならないと思う事しきりである。楽しい時間はあっという間に過ぎるもので3時間半に及ぶ宴会もすごく短く感じた。私にとっても大切な方々ばかりである。どうか今年一年ご健康でお過ごし頂くよう心からお祈りする。大変素敵な行事でした。関係者の皆様に心から感謝を申し上げる。ありがとうございました!!
2015年01月17日
桜ケ丘地区ほんげんきょう開催
年も改まり、いよいよ我桜ケ丘自治会も本格始動である。毎年の事ではあるが新年最初の行事は「ほんげんきょう」である。これは地域によって「どんと焼き」であったり「左義長」等と言う様々な呼び名があるようであるが、要はお正月のお飾りやお札を縁起よく地域で燃やしましょうと言う行事である。開催する時間帯も地域によって様々のようであるが私たちの街では午前中に行なうことになっている。
先ず準備である。前日の早朝に町内の有志の方々がお集まりになって車数台に分乗して竹藪を目指す。ここでトラック一杯に竹を積み込みかえってくる。戻った後は公民館前の広場で組み立てである。ただ、この組み立てが毎年の事であるが上手く行かない。と言うのも皆ちゃんと覚えているようでも去年の事に対する記憶が若干曖昧で、毎年毎年少しづつ形が違っているようである。ここはひとつ設計図をきちんと残していた方が良い様な気もする。今年も試行錯誤の末、一度は強風にあおられて本体が倒れると言うアクシデントもあったが、その分二度目はやたらと頑丈な竹の塔が完成した。これはなかなかの出来栄えであると関係者一同自画自賛の嵐であった。
翌日の大会本番には地元の中学生もお手伝いに参加してくれて点灯を行ってもらった。最近の事はこういった人じかに接する機会が滅多に無いので非常に戸惑っている様が面白くもあった。会場では前日から用意をしていた豚汁が振る舞われ、またお飾りを持って来てくれた人たちに福引きも行われた。多くの町民の方が会場に集まりあちらこちらで「おめでとう」の挨拶が聞こえる光景はやはり気持ちのいいものである。自治会が行う行事が立派に街の文化や風習になっていく姿は見事であるし、これを続けて下さる街の方々の御努力に頭の下がる思いである。新年の行事を終えて街もいよいよ本格的に始動である。私も頑張りましょう!!が、また、ちょっと火に近づきすぎたせいで顔面を火傷している私である・・・
2015年01月13日
福岡中央高等学校第36回生同窓会開催
ようやく、2015年、平成27年の記事を書くことが出来る。いや、改めまして「あけましておめでとうございます」な気分である。で、新年早々に行なわれた行事で大きなものは、何よりも私の出身校であるところの福岡県立福岡中央高等学校の私の学年、即ち第36回生の同会会が開催され、これに出席してきた。と改まって言うが何のことはない実は私は幹事の一人でありむしろ企画から会場の予約等準備を任されていた人間であるので、むしろ出席するのが当たり前で来なければ「ふざけるな!」とお叱りを受ける立場であった。しかし、こういった仕事をして痛感させられるのは、まあ人間誰しもであろうが動きが激しい。と言うのは何も落ち着きがないと言う意味ではない。実は5年前高校全体の同窓会幹事を仰せつかった際に同学年の消息を25年ぶりに大捜索を行い、実に400名の卒業生のうち300名近くの住所を掴んだ。にも拘らず今回、この300名宛に案内状を送付したところ実に50名近くの人間が転居先不明で帰ってくると言う有様である。まあ言われてみれば私自身も5年前とでは住所が違う訳であるので人のことは言えないが、まあ人間の消息を掴む事の難しさは改めて実感した次第である。
そんなこんなで色々とありはしても、会自体は大変盛況で多くの出席者からご好評を頂いて終了させて頂いた。これには正月中も名札の作成など準備に関わった私にすれば有難い限りである。なんとも照れくさい話であるが私は高校時代の友人たちが大好きだ。いや、厳密に言えば心の底から感謝している。学年が一つ違い世間から疎まれはじき出された私が人間としての温かさを取り戻すことが出来たのは、純粋に高校時代が恵まれていたからだけである。今考えても唯々優しく暖かい友人たちに囲まれて過ごせたあの幸せな時間は私にとっての一番の宝物である。「一期一会」と言う言葉もあるが私としては今後も別れることなく続けばいい、そんな素晴らしい関係だと思っている。結構みんなそんな思いはあるようで、たった二時間の同窓会であったが、許されるのであれば「この時間が続けばいい」は誰もが持った思いであったようだ。思い出の中に生きる事は決して正しい事ではない。時は移ろいゆくし目に映るものも日々その姿は変えていく。人は常にその中で時代や環境に適合しながら生きて行く事を強いられる。であるが故に心の片隅に大事にしまってある思い出は大切にしたい。そう願っても良いであろう。決して感傷に浸ってその場に立ちすくむ訳ではなく、それを力として歩き出せるのであれば良いと思っている。そしてまた私はその友人たちに力を貰う。出来る事は限られていてもそうして貰えることが尋常で無く嬉しい。皆変わらず元気で何よりであった。さあ!今年も本気で頑張りますよ!!!
2015年01月07日
年末の資源物倉庫搬出作業
いやいや、いくらなんでも公民館の大掃除も終わって、加えて夜間パトロールもあれば、いよいよこれで年内の自治会の行事は終わりと思われた方!!あなたの認識は極めて正しい!!ふつうこれでもう十分なくらいに年内の行事は終了であることが正しいはずだ。しかし!!そうは問屋が卸さないのが桜ケ丘地区!!役所ですら仕事納めが終了したそのまだあとの、今度はそれもまだ日も昇る以前の早朝に、公園に設置されている資源物倉庫の中身の業者への引き渡し、搬出作業が行われた。いや、これは真剣に深夜の作業より辛い!!
またまた若干、今度は寒さだけでなく眠気まで加わって愚痴っぽくなっている事はお許し頂きたい。だが、やはりいつも感心するのはこういった早朝の作業であってもこの地域は見事に参加者が多い。町民の皆様に気持ち良く倉庫を使って頂けるように、加えて自治会の貴重な財産である資源物を有効活用しやすいように、本来であれば絶対に誰もボランティアで作業をするような時間ではない年末の休日のそれも早朝に、多くの方が重作業に勤しんでいただける光景など私はこれまでに見たことも無かった。
つい先日、ある別の町内の方から「確かにあなたが町内の事をよくやっているのは知っているが、議員本来の仕事ではないんじゃないか」と言った趣旨のことを言われた。これはある意味正しい。間違いなく議員本来の仕事は、議会の場において首長はじめ執行部の行う様々な行政上の措置が、地域住民にとって最も適切なものであるかをチェックし、違うと思えばそれを議論し採決を行う事だ。その為には当然選択しうる様々な政策や、また起こり得る様々な問題について常にアンテナを張り研究し、その意味では自らを研鑽し続けていなくてはならない。これが間違いなく本分だ。決してこれから軸足をずらす訳には行かない。が、大変不遜な発言だとお叱りは覚悟の上であるがそれは常に心掛け実行しているつもりである。その上ではあるが、この意見が一面において間違っているのは、当然の様に議員とてただの一市民であり、加えてこの町の住民であり加えて自治会の会員だ。これが会費だけ支払って「後は自治会の役員さんよろしく」では町はどうなるのだ?これはむしろ当たり前の話で、何の自慢にもならないが私は一度としてこの町の行事にお客様として参加した事など無い。これは断言できる。一度として美味しい所だけをつまみ食いした事も無い。この行事を持って年内全ての行事のお手伝いをただやってきただけだ。ここに議員もへったくれもあるはずもない。確かに私は自治会の活動で汗をかいている。が、敢えて言えば他の人間がかいてなさすぎるだけではないのか?誰だって真冬のそれも年末も押し迫った早朝に、家の仕事なら兎も角町内の仕事をしたいはずもない。が、これは誰かがやらなければならないし、そうする事で多くの人が快適な生活を送れるのだ。これを指を咥えて見ている方が私はよっぽどどうかしていると思えている。なので、私はこれを来年も続けることにする!!望むべくは、少し時間を遅くしていただけないだろうか・・・
ともあれ、これで本当の本当に年内の町内の行事と言うか仕事は終了である。一年間本当にお世話になりました。皆さんお疲れ様でした!!
2015年01月07日
桜ヶ丘町内年末特別パトロール
公民館の大掃除も終わればいくら何かと行事の多い桜ケ丘自治会でも行事は終了!!と思われた皆さんはまだまだ認識が甘い!!これで年内の行事が打ち止めになるほど桜ケ丘はおとなしい街ではない。
これも毎年恒例の行事であるが、年末になれば特別警戒と称して12月25日から30日までの6日間、それも夜の9時から町内の防犯防災意識を高める為に町内特別パトロールを行うことになっている。先に断っておくが、ここは決して気候温暖な熱帯の南国ではない。年末の夜ともなれば小雪舞う中での行事である事だけは忘れないでいて頂きたい。
等とあまりの寒さのせいで若干愚痴っぽくなっている事はお許しいただきたいが、素晴らしいのはこの年末のそれも夜の行事に、町内から多い時で30名もの町民の方々の御参加があると言う事だ。はっきり言って春日氏中にこんな町はありはしない。それほどに、自分たちの手でこの町の安全を守って行こうと言う意識が高い街なのだ。これは本当に誇らしい事である。私も拍子木を鳴らせたらなかなか堂に入ったものであると自負もしている。確かに気温は凍てつくように寒い。が、少し格好つけて言わせて頂けるなら、そんなものが吹っ飛ぶくらいに町民の心が温かいのだ。時折すれ違う街の方々からも「お疲れ様〜ありがとうございます」との言葉を掛けて頂ける。みんなが町を愛している。そんな思いを一層深くする年の瀬である・・・
御参加頂いた皆様!!お疲れ様でした!!
2015年01月05日
桜ヶ丘公民館年末大掃除
またまた昨年の記事で大変申し訳ないが、12月の年末も押し迫った21日。一年間春日市内でこれ以上活動した公民館はないと言い切れる、我桜ケ丘公民館のが行われた。町内から役員はじめ有志の方々や役員のお母さん、加えて今回は春日北中学校の生徒も加わった大人数で今年一年間の埃を落とした。
其々が担当分けされて分担して掃除を行うのであるが、私はと言うと、例年ホールに高梯子を掛けて天井の空調の掃除を担当させて頂いている。何故そういうことになるのかと言うと、いつもの事であるが私がこういった際のメンバーでは非常に若い部類に入るからである。これは永遠の課題である。今年は特に30名以上の人海戦術で大掃除を行ったので終了も大変早かったし、加えて仕上がりも心なしか綺麗だった気もする。掃除の跡は一年の労をねぎらう意味も込めて細やかな宴会まで用意してくださった自治会には感謝である。
ただ、これで終わらないのが我、桜ケ丘自治会である。この日手を付けなかった襖の張替は翌々日の23日に有志だけで行った。まあ、私も久々に障子の張り替えと言う慣れない作業をお手伝いしたので随分と緊張したものだ。今後桜ケ丘公民館を訪れた際に障子を見た時は、是非私の事を少し思い出して頂きたい。自分たちで使ったものは自分たちで責任を持って綺麗にする。また普段から汚さないように気を付ける。たったこれだけの事が当たり前に出来ているこの町は、やはり誇らしい。幸いなことに梯子から「落ちる」ことなく作業も終了した。来年も是非こうありたいものだと思っている。作業に参加頂いたすべての方々に心からの感謝を申し上げる。お疲れ様でした!!
2015年01月04日
老松宮新年準備竹取作業
さあ、今年も張り切ってホームページの更新を行っていく事にしよう!!と言いつつまだしばらくは昨年の行事の記事である事はお許しいただきたい。今回は地元に鎮座している老松宮の新年準備の為に、と言うよりも正確には門松作成の為に竹取に参加してきたのでその模様を掲載させて頂くことにする。
この作業も気が付けばもう三年間強引に参加させて頂いている行事になる。地元の有志の方々が地元の鎮守のお社を守るために普段から住民にも見えないような御苦労をされている。その思いに少しでも報いることが出来ればと言う思いは常にあるのであるが、何分金持ちからも無い私である。であるならばせめて肉体労働でお手伝いをするしかないと言う、まあ、何とも稚拙な恩返しではある。ただ、しっかり冷え込んだ冬の早朝から、隣町の山中の竹藪に入り、巨大な孟宗竹を斬り倒しこれを麓の車まで運ぶと言う重労働をご高齢者だけにさせているようでは私としても唯々恐縮するばかりである。せめて単純作業であればお手伝いするのが住民としての筋でもあろうと思っている。実はこの日、私は若干寝坊をして10分ほど遅刻をしてしまった。まあ、その分を取り戻すべく遮二無二働いたわけであるが、はっきり言ってその後しばらくは身体が動かない程に節々が痛んだことは報告しておきたい。手作りで本当に素敵な門松が今年も出来上がった!多くの住民の方がお正月にこの神社に来て新年を祝われる。その意味でもなくてはならない大切なものなのだが、若干の気掛かりは他の行事同様、こういった作業に参加するのが、私が一番若い人間であると言う事だ。当然の様に何の報酬も無い作業である。皆さんの想いは純粋に「町の為」だけだ。この崇高な思いもひっくるめて次の世代に受け継いでいかなければならない。そのお手伝いもきっと私の様な立場に課せられた課題であろうと思っている。学ぶべきものはいくらでもある。大変厚かましいお願いであるが、今後もどうか無理矢理でもついていくので御教授をお願いしたい。例年の事であるが大変心地いい疲れである。後は年越しのお祭りを迎えるだけだ。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます!!
2014年12月31日
桜ヶ丘老人会松寿会12月定例会
どうも今回の更新が今年最後の記事になりそうである。今回も大変有難い事に桜ケ丘地区の老人会「松寿会」からお誘いを頂き、これに参加させて頂いた。12月の定例会は例年クリスマス会と忘年会を兼ねての賑やかな会になるので準備も大変だ。今年も一番早くは2週間前から舞台上に設置する棚の作成を行なったりと準備に余念がなかった。当然の様に私もその殆どにお手伝いをさせて頂いたことを申し添えておく。
当然の様に準備に力を入れたわけであるので、舞台上はこれまでにないほど華やかな素敵なものが完成した。会員の方からも感嘆の声が漏れる程に素敵な演出でもあった。真面目にこれだけはいつも思う事であるが、こんな演出も昨日今日できる訳も無い。会長様はじめ多くの方々が、先程も言ったように何日も前から準備をされているのは勿論だが、それ以前に常日頃から自分の事は兎も角、会員の方々の喜ばれる事だけを常に考えていらっしゃる姿勢に唯々脱帽するばかりである。この熱心な思いと活動こそが、春日市内で最高の会員数と参加率を誇る老人会に松寿会を育て上げれれておられるのである。会長は常日頃から「会員の方に出てきて貰えさえすれば良い」と謙虚に仰っておられる。間違いなく年齢を召されて家で孤独でおられることを思えばそれだけでもこういった会は充分に存在意義のあるものである。しかし、それ以上に更なる喜びを共有しようと汗を流しておられる役員の方々の姿勢を見て私たち若いものがそのお手伝いをしない訳には行かない。とは言いつつ、日頃から逆に元気づけられるあたりが私の情けなさではあるのだが、居心地がいいのだからしょうがない。今後も微力ではあるがお手伝いをさせて頂きたい。一年間、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします!!
2014年12月28日
桜ヶ丘自治会年末餅つき大会
行事が多すぎる所為もあって更新が追い付かない状態が続いているがお許しを頂きたい。なんとか年末の行事を今年中にと思っているが・・・
いつの間にか世間では師走に突入しており、私の周辺も急に慌ただしくなってきている。そんな折りではあるが今年も自治会の行事としては最も大きな餅つき大会を開催することになった。毎年の事だがこの行事は本当に参加者が多い。それだけ地元にも根付いているし縁起物の行事になっているのであろう。例年の事であるが数日前から杵や臼を役員の方々は数日前から用意しているし、私も以前はこれも自前で作っていたがあまりのその作業が面倒なので私の友人から仕入れるようにした小豆を購入してきて準備は万端である。当日は朝7時に集合して地元のお社に参拝し安全祈願を行って最終の準備。餅つき大会の開幕である!!
例年私は竈の火守りとして、その才能を如何なく発揮しているが、今年もその役職に徹させて頂いた。ただ、今年は即席の竈であったのでそこからの放射熱で顔を火傷した事も申し添えておく。
例年、この桜ケ丘餅つき大会では、町内の受験生たちにその成功を願って「合格餅」を配る風習になっている。町民が丹精込めて作ったお餅に、老人会の会長さんあが一つづつ丁寧に「合格」の文字を書き込み、これを自治会長が手渡しで受験生に渡すのだ。本当に素敵な伝統だと思っている。今年、この行事の際に町民の方々から大変嬉しいサプライズがあった。なんと、皆様の機転で、来年大勝負を迎える私の為に「当選餅」を作って頂き、これを下さったのだ。何処の馬の骨とも知らない私を4年間の間にある程度認めて頂き、こうした優しい心遣いまでして頂いたことに、実は私は恥ずかしながら涙してしまった。本当にありがたかった。優しい方々に出会えて囲まれて、どれだけ幸せだろう。感謝の言葉しかない。多くの町民の方から「今年のお餅はうまい」との声を聴いた。すべての意味において大成功の餅つき大会だった。関係者の皆様は勿論御参加頂いたすべての町民の方々、本当にお疲れ様でございました!!ありがとうございます!!
2014年12月24日
桜ヶ丘育成部主催資源物回収
今回も資源物回収があったので当然の様にこれに参加してきた。大変うれしい事であるがこの事業に参加して下さる町民の数が増えている気がする。実際にコミュニティスクールであるが故と言うのもあるが、中学生もこれに参加しては真面目に作業に勤しんでいる。非常に心強い光景であると思う。
全く持って念の為であるが、私がこの手の事業に参加していると聞いて、よもやいらっしゃらないとは思うが、これを高みから見下ろしてぜび路でも来て「頑張ってますね〜」等と声を掛けて周っているだけだと誤解されていては困る。実際にこういった議員が無茶苦茶に多い事は知っている。が私はそんな人間ではない。いや、厳密には確かにこの時多くの町民の方々を見下す立場にはいる。そりゃそうだ!!私は町内の資源物を回収して回るトラックの荷台にいつもいる。その関係で見下ろしているだけであって常に作業をしている事を申し添えておく。ただ、私の場合他の議員の様に常に秘書がついて私の写真を撮ってくれるわけではない。なので自分が写った写真が無いので、もしかするとそういった誤解を招く可能性があると余計な心配をしてしまうのだ。なので、今回は行事に参加していたPTAのお母さんにお願いして「私の凛々しい姿を取ってくれ!」とお願いし撮影して貰った。その数枚が横にある写真だと思って頂きたい。どうだ!!働いているでしょう??ただ、大変残念なのは、くして取られていると思っただけで自然体でいられないと言うあまりに写真慣れしていない悲しい自分の姿だ。愚かしいにもほどがある・・・まあ、その点はどうかご勘弁頂きたい。
ともかく、毎回毎回本当に多くの町民の皆様が町の事業にこれほど多く御参加頂けるのは唯々感謝ばかりである。しかもその輪が子ども達にも受け継がれていく。素晴らしい話だと心底思う。今年度の資源回収はあと一度だ。どうかまたその時も絶大なご協力をお願いするものである。関係者の皆さん、本当にお疲れ様でございました!!
2014年12月23日
精神障害者バレーボール大会
毎年11月の下旬に開催される福岡県障がい者スポーツ協会主催の精神障害者を対象としたバレーボール大会が開催され、今年もその審判員のお手伝いとしてこれに参加してきた。場所は福岡県立総合体育館アクシオン。小雪混じりの雨が降りしきるやたらと寒い日であった。こういった大会の際にはまずネットの設営から我々の仕事は始まる。これはもう慣れたものである。で、選手を出迎える。下の記事にも書いてあるが、障がい者のスポーツにおいては間違いなくその競技自体が持つ難易度と言うか壁の様なものは存在する。実は私自身は、この手で掴む事も出来ないバレーと言う競技自体は非常に苦手である。少なくとも昨年、この大会のお手伝いをさせて頂いた際の印象としては「バレーは難しいな」と言うのが正直な感想であった。あるチームは飛んでくるボールに全く反応できずに点数を取るどころか一度としてラリーすら続かないと言った場面が何度も見受けられた。
が、今年の大会は明らかに様子が違った。主催者側の判断としてレベルの違うチームを別の組み合わせにすると言うこういったスポーツが当然すべき配慮もあったのであるが、それでも明らかに昨年よりもどのチームも数倍競技としてのレベルが向上しており、見ている側としては充分に楽しめる、そんな域に達していたのである。試合中も多くの関係者の方々が選手に対して力強い声を掛けていらっしゃる光景が見られた。間違いなくこの方たちは普段から彼らとともに練習に打ち込み励ましていらっしゃる方々なのであろう。惜しくも練習の成果を発揮できず惨敗に終わったチームも確かにあった。がしかしそれでも間違いなく昨年よりも数倍高いレベルでの敗戦である。これには純粋に心打たれた。先程競技の壁と言う言い方をしたが、間違いなくバレーと言う競技は球を掴めない分難しい競技である。が、それが一年間でこれだけレベルを上げてこれるのだ。子らはお世辞でも何でも無く素晴らしいご指導の賜物であろう。況してやレベルの高いクラスの試合に至っては、何ら普通のバレーと見劣りしない、それほどのレベルの競技であった。其々のハンデに合わせて其々が楽しめるようにする。高みを目指す者がいればその後押しをしても良い。ある種のリハビリやふれあいの場としての利用でも何等構う事はない。これが実践できているこういった大会の意義を改めて思い知らされた。試合のレベルが高い分、試合時間が延び、時間も大きく延長したが全く長くは感じなかった。素晴らしい大会であったと思う。あまりお役に立てなかったが参加させて頂いて本当に良かった。心からお礼を申し上げる・関係者の皆様お疲れ様でした!!ありがとうございました!!
2014年12月19日
障がい児バスケットボール教室
これも今年度の初めに一大決心で始めた活動であるが、福岡県障害者スポーツ協会(FHS)が主催する主に知的障害のある子ども達を対象としたバスケットボール教室が11月で一応の終了となった。バスケットはある意味ボールを相手側のネットに投げ入れるシンプルなスポーツである。当然、その過程においてはパスがありドリブルがありそしてシュートと言う様々な違うタイプの動作が求められるのであるが、それでも他のスポーツに比べるとまだ、ルールの理解の点で知的障害のある子ども達にとっては受け入れやすい競技であるのかも知れない。非常に厳密なルールを適用すれば全くと言って良いほどに試合の成立などあり得ないが、それでも目的がはっきりしている分細かな点に目を瞑れば充分に競技として成立するものである。そういったルールの拡大解釈こそが障がい者スポーツに求められるものであることを今回教えて貰った気がする。
今回、参加していた多くの子ども達の障害の程度はさまざまであった。全く障害があると思えない子からルールの一切を無視する子までいる。これらが混然一体となって一つの競技を進めていく部分の難しさは間違いなくある。競技に対するレベルも当然であるがそれ以前に障害の程度の幅が広すぎるほどにある。この際どこに重きをおいて、また誰に合わせてこういった教室を進めるべきかについては、事前に細かな打ち合わせが行ったのではないか、との反省も私なりにある。しかし、それらの全てに対応できるほど時間的にもまた人的、物理的にも十分なものが無いと言うのもまた現在の障がい者スポーツの抱える大いなる問題点であり今後の課題であろう。私は、正にお手伝いに入っただけで何の役にも立っていないのが実情であるので、一切これらを批判する立場にない。いや、むしろ指導者の方々はその人的ネットワーク目視されて正に献身的にこの授業に取り組んでおられるし、その姿勢には唯々頭が下がるばかりである。ただ、多くの子ども達が気軽に参加しやすい競技であるが故に、それに付随する様々な課題があるのも事実であろう。極めて簡単にその課題を指摘するのであれば、障がい者スポーツの更なる振興と言う大いなる理念以前に指導者不足も含めて環境が整っていないのが実情なのだ。この事を深く考えさせられた教室であった。しかし、であってもボールを追いゴールを目指す子供たちの目は純粋そのもので、これを見るだけでも大いなる勇気が湧いたのも紛れもない事実だ。場所と人さえあればもっともっとこの子たちにスポーツの楽しみを教えてあげられる。その為に私の為すべき事はなにか?これを今後も追及していきたい。多くの事を考えさせられた貴重な体験であった。関係者の皆様に心からお礼を申し上げる。ありがとうございました!!
そして出来る事であるならば、あまりお役には立ちませんが来年もまたお会いしましょう!!みんな、頑張ろうな!!本当に、お疲れ様でした!!
2014年12月14日
筑前琵琶演奏会IN糸島市民大学
私の記事には度々ご登場頂いているが、私の住む町には国の無形文化財である筑前琵琶の第一人者がお住いになられている。大変有難い事にこの方と普段から大変親しくさせて頂いていて、今回はこの琵琶の演奏会が糸島市の生涯学習である「糸島市民大学」で開催されると聞いて何は兎も角お伺いをしてきた。場所は糸島の健康福祉プラザである。会場を訪れて驚いたのは何よりもその来場者数とそしてその方々の熱心さである。皆さん本当に食い入るように、確かに来場者にしてみれば初めてに近いであろう筑前琵琶の演奏に見入り、真剣に耳を傾けておられた。また何よりもこの方の演奏には観衆を引き寄せる鬼気迫る迫力があるのも紛れもない事実である。
この日は筑前琵琶の成り立ちからご説明頂いていた為、演奏曲も琵琶と一番なじみが深いと思われる「平家物語」を中心に構成されておられたようであった。相変わらず聴衆を唸らせる演奏は「見事」の一言に尽きる。私が普段からこの方を尊敬しているのは、常々彼女は自らをして「大和心を後世に伝える語り部」であると仰られ、自分の出来る範囲でと言いながら常にその活動の場を広げられている所である。間違いなく古典的な芸術文化に対して関心が薄くなり、況してや教育の分野においては古典芸能などまるで死語のような扱いを受けている昨今の風潮は嘆かわしい限りである。そんな中にあって琵琶を片手に日本の古き良き伝統やその根底に息づく精神を献身的に活動を続け広げておられる姿勢には唯々頭の下がる思いである。政治と言う場面で誰よりも現実の理想を熱く語るべき立場にある自らと見比べて胸が痛くなり、恥じ入るばかりである。「自分に出来る事は小さい事しかない」と常にご謙遜されて仰られるが、そんなことはない。彼女の奏でる魂の一節は常に聞くものの心を捉えて離さない。どうも常日頃から言葉の軽い私からすれば、正に見習うべき師であると思っている。
今回も本当に心地よい時間を過ごさせて頂いた。またその感想は会場全ての人々の思いでもあろう。本当に有難うございました。また年末の演奏会楽しみにしております!!
2014年12月11日
桜ケ丘福祉サロン「美脳講座」
毎月第3火曜日に開催されている地元公民館の福祉サロンに顔を出させて頂いた。今回のテーマは認知症予防のための健康運動と美脳講座である。この先生の講義は以前市のいきいきプラザで開催された際に拝見させて頂いた。話術も非常に巧みで高齢者の方を引き寄せいる素晴らしい先生であるし、その中で実践される様々な訓練は医学的にも十分認知症予防に効果があるであろう楽しくてためになるものばかりである。参加されていた全ての方々が楽しそうに先生に合わせていろんな動きを真似されている光景は素晴らしいものであった。
講座が終了した後は地域の福祉推進委員の方々が手によりをかけて御作り頂いた昼食のお時間である。この日のメニューも本当に美味しそうなものばかりだった。「おいしそう」と言う事は食べてないと言う事になるが、実はこの日は非常に多くの行事を抱えていたので昼食の配膳等のお手伝いで公民館を後にせざるを得ない悲しい現実があった。その為その旨を数名に告げて公民館を後にしたのであるが、数分後に電話がかかってきて「何故、一緒に食べない!」とお叱りを受けた。大変うれしい悲鳴である。いつも言うが本当に地域の福祉推進委員の方々は良くしてくださる。福祉サロンに御参加の方々は原則一人身の方であるのだが、この方々にしてみれば別に豪華な食事がある訳でもなくただ、こういった場に集ってみなと仲良く食事が出来るだけでもどれだけ心強い事であるだろう。その場を常に工夫して提供してくださるごろくに唯々感謝の言葉しかない。況してや体にいい様々な企画まで用意してくださるのだ。本当に素敵な場であると思う。実はご飯が一緒に食べれなくて一番がっかりしているのはほかの誰でもない私自身だ。次ぐこそは容易だけでなく必ず食事もご相伴にあずかってやると固く心に誓っている。本当にいつもご苦労様です。ありがとうございました!!
2014年12月09日
春日北中特別授業
先日、地域で普段からとてもよくしてくださる方から「今度春日北中学校で特別授業を行いますので良ければ見に来てください」とのお声掛けを頂いた。この方、市内でも有名な御茶の師範の方である。春日市の小中学校では数年前から「コミュニティスクール」を実践している。これは学校だけではなく家庭や地域も教育に参加し子どもの健全育成に力を貸そうと言うものだ。その一環で地域の方々に普段学校では習えない特別な講義の時間を持って頂く授業を行っているのだ。この日はこの先生のお茶教室だけではなくお花の講義も行われていた。
当日先生は御自分の教室の生徒さん達とご一緒に大変な準備をして頂き、とても学校での即席授業とは会思えない様な見事な御茶室をご用意くださっていた。古くから伝わる食事まで含めた「お茶会」の基本的な流れとその時々の作法を時系列に沿って大変詳しくご教授くださっていた。実は私はこういった世界に関しては大変お恥ずかしい事に不作法である。しかし、この日の講義を聴くにつれてなるほどと感心する事しきりと言うか、むしろ大人の方が為になる素晴らしい内容であったと思うほどだ。正直、こういった機会を設けて貰えて今の子ども達はどれだけ幸せかと嫉妬交じりの羨ましさを覚えたほどである・茶室内の歩き方から箸の持ち方、加えてお茶の頂き方まで教われたことは間違いなく将来の大きな財産になる。
ただ一つこの講座で気になったことがある。この大変為になる、しかも地域の方が時間を割いてわざわざ出向いてくださる授業を、きっと多くの子ども達はあまり意味も解らずに聞いていたと思う。自分たちが子どもの頃を思えば、これは致し方あるまい。それでも大方の子ども達は真剣に、そして興味深く聞いていた点は見ていて好感も持てた。全てではない。当然の様にこのくらいの年代であれば真面目にしているよりもふざけていた方がかっこいいと勘違いする子ども達もいたのは事実だ。これはいつの時代でもいる。ただ、教えてくれる方がいつもの教師ではなく善意の方である以上これに厳しく接すればいいだけだ。それほど深く考えてない分だけ子ども達もばか騒ぎが過ぎる点はあったが許容の範囲内であろう。ただ、これについての担任の教師の態度は如何なものか?茶の席で片膝を立てて後ろの壁に寄り掛かる態度の子ども達について、これを注意する訳でもなく師範に対して「すみません、この子たちは正座をし慣れてないもので」はないと思う。ここで子ども達を正当化する理由が解らない。ならばさせればいい。どのみち大人になってこういった席に出ればその態度でいられるわけも無い。「だらしない、行儀の悪い、躾の出来てない子」として世間からはじかれるだけだ。こういった機会にこそきちんと教育すべきではないのか?子どもに寄り添ってよき理解者であれば間違いなく子ども達の信任は厚かろう。ただ、その事が全てに於いて了とされるわけも無い。時には厳しく接することが無ければ大きくなった際に損をするのはその子ども達だ。世間の大人たちの目に触れて困るような教育を教育者が実践するな!と怒鳴りたい気分であった。まあ、そんなことをすれば「教育の現状も知らない精神主義者」とご批判を受けるであろう。まあ難しい所だ。ただ、これだけは明確だが、この日この授業の為に大人が何名も、それこそ何時間もかけて大変な労力を使って「子どもの為」と言う一念でこの場に来てくださっているのは紛れもない事実だ。これには何よりも例を持って接せなければそれこそ人の道に外れると言うものだ。何よりも先ず子ども達にその事を教え諭していたのかが教師の態度を見るにつけ甚だ疑問が残ったところである。リアカー一杯の道具を引いて師範はお家に帰られた。これを見送る教師もいない。なかなか理想と現実は重なり合わないものである・・・ともあれ、別に私に言われても何の喜びも無いであろうが、この日の授業は心から為になる有意義なものであった。これ程勉強になったことはこれまでにそうない。素晴らしい時間だった。お茶の師範である先生やお手伝いに来てくださった全ての関係者に心からお礼を申し上げたい。ありがとうございました!!結構な御点前で。
2014年12月03日
諸岡川歩こう会
このすぐ下の記事にも書いてある毎年二回我々が護岸の掃除に入る諸岡川は春日市の北の端から市内を南北に縦断して様々な街の中を抜け福岡市内に流れ込む川である。以前は度々氾濫を起こし町内を水害に見舞った川ではあるが市民生活になくてはならない重要な川である事は間違いない。この市内を流れ桜ヶ丘で終点を迎える川の事をもっとよく知り親しんでもらおうと桜ケ丘自治会では「諸岡川歩こう会」を開催した。コースは桜ケ丘の老松宮を出発し諸岡川に沿って須玖北、岡本、弥生、昇町、大谷、紅葉ヶ丘、大土居と歩き白水大池公園まで歩くものである。現地で各自持ち寄ったお弁当を食べ帰りは其々に解散する。片道約7キロのコースだ。
この催しを企画するに当たり私にも「諸岡川について調べるように」と言う結構無茶な宿題を仰せつかった。で調べてみて驚いたのだが、この川我々や市の様々な書籍においても間違いなく「諸岡川」と称している物の、厳密に言えば諸岡川は別にあり更に言えば河川法で言うところの「河川」でもない事が奇しくも判明してしまった。ならなんで「諸岡」等と言う春日市に何の縁も無い名称を名乗っているのであろう。と言う事になってしまった。と言う訳で、今回の議会においてこの川の、いや水路の名称について尋ねさせて頂くことにした。その意味ではこの事業のおかげで大変いいネタを頂いたともいえる。写真でも解るように企画自体は皆さん大変興味深く、また健康的に歩かれたと言う点において成功であったと言える。ただ、子どもの参加が今回なかったことは次回への宿題であろう。また春にももう一ひねりして行われるであろう。それを楽しみにさせて頂くことにする。関係者の皆さん大変お疲れ様でした。ありがとうございました!!
2014年11月29日
障がい者バトミントン教室
今年になって私が始めた最も大きな活動は障害者スポーツのお手伝いである。これまでにもフットサルや陸上教室の模様については報告をさせて頂いたが、実は最も早い時期からそれを開始したのがバトミントン教室だ。5月から始めさせて頂いた。今回この教室には申し込みが少なかったらしく車椅子で超が付くほど本格的になされている方のむしろお邪魔にならない様に勉強をさせて頂いた、そんな感想の方が強い。自分ではもっと出来ると思っていたのに「こんなにラケットにシャトルが当たらないか?」と腹立たしい思いがした。先程申し込みが少なかったと言う事を言ったが、これは多分知的障害者の方々を対象にしたためではなかったのかと思わなくもない。この競技は間違いなく難しいのだ。ここは何かの工夫が必要なのかもしれない。
ただ、その中でも大変大いなる収穫もあった。まず一つが教室に参加していた女の子ととても仲良くなれたことだ。私の顔を見つけては走ってきて学校での色々な事を話してくれる。私の修行が足りないせいで全てを聞き取れるわけではないのだがなんでも学校がとても大変であるらしいことや、まだまだ日直の当番が回ってくることの愚痴が大半だったようだ。「普通に接する事」ってこんなことだと思えて私の方が嬉しくなってしまった。「普段は内気で人とあまりしゃべらない子なんですよ」は、私にとって最高のご褒美だった。今一つは最後の回だけだがつい最近脳こうそくを患われた方がリハビリに来られた際にそのお手伝いをした後で、奥様から「もう二度とスポーツなど出来ないと思っておりました。お手伝いして頂いてこんな風にまた出来るとは思いませんでした」と涙ながらに感謝された事だ。いや、別に何も大したことはしていない。ただひたすらにラケットにシャトルが当たるまで何度でも投げ続けただけだ。これでこれほど喜んでいただけるのでればいくらでも私は投げ続ける。きっとそんなに大きな何かが得られるわけではない。けれどこんな風に小さな喜びが満ちているのがこの事業なのだろう。そんなことも逆にこっちが教えて貰った。先程も言ったがあまりに上手く出来ない我腕前に嫌気がさして、大変無理をお願いして我市役所のバトミントンボール部に練習を付けてまで頂いた。これは本当にご無理を言って申し訳なかったと思っている。にも拘らずこんな私に親切に教えて下さった部員の皆様には感謝の言葉も無い。本当に有難うございました。来年の事業がどうなるかは解らないが是非またお手伝いをさせて頂きたい。御教授を頂いたすべての方々に心から感謝申し上げる。本当に有難うございました!!
2014年11月24日
春日市クリーンディ・諸岡川清掃
11月の第二日曜日は春日市一斉クリーンディである。この日は市内で一斉に清掃活動を行い徹底的に街の美化について考えて貰う日となっている。が、この日は早朝から生憎の雨天で自治会によっては作業を見合わせるところも多々あったようである。ならば我が町内も、等と言う糞甘い期待を我桜ケ丘でもってはいけない。この町は嵐がこようが竜巻が吹こうが当初に予定していた行事は何が何でも行う。いつからかもう私も完全に開き直って前日からそのつもりである。当然作業は決行。しかし町内の方々の参加はさすがに少なかった・・・
当日は授業の一環として地元の中学生の参加もあった。まあ、滅多に入る事の無い川の護岸清掃にあたってそれなりに考えるものもあったであろう。我々はと言うと、雨の影響で簡単に済まそうと言いつつ、結局、もう来春まではいる機会が無いと言う事を考慮して例年通り徹底的に護岸清掃までやってしまった。いや、もう頭の上からは雨で濡れるし。増水した川の所為で長靴の中にも水が入ってくるしで実際にはエラそうな言動とは裏腹に散々な目にあってしまった。我ながらよくやると思う。しかしこれを私の様に文句を言いながらではなく黙々とされる方が何と多い事か!!この辺りのこの町の底知れぬパワーを感じるのである。作業終了後は細やかではあるがお食事を用意して頂いて皆様の労をねぎらう反省会が催された。まあ、この為に作業を頑張っていると言っても決して過言ではない私である。しかし、この日はこの後も用事があるためアルコールをもめないと言う悲劇に見舞われてしまった。よっぽど私の日頃の行いが悪いのであろう。ともあれ、皆様の献身的な、それこそ悪天候にも関わらないお力添えで町内の川も見違えるように綺麗になった。感謝である。町内の方々も川を見る際にはずぶぬれで頑張った私たちの姿を少しは思い出して頂きたい。作業に従事してくださった皆さん、本当にお疲れ様でした!!
2014年11月24日
世代間交流 芋の収穫作業
これも例年の事ではあるのだが、今年も春に街の小学生と老人会の皆様で一緒に植えた芋の収穫の季節がやってきた。今年もこの日の為に夏の間の熱い時期も常に水やりを欠かさず、また雑草の除去をして下さった老人会はじめ有志の皆様の行為に唯々感謝するばかりである。今年も朝早くから集まった子供たちに「今日この日を迎えるためには皆さんたちに喜んで貰いたいとの思いで、日頃から尽くしてくださった方々の御努力がある事を忘れないでください」と挨拶をさせて貰ったが、これがどこまで子供たちに伝わっているのかは解らない。
一年生から六年生までみんなで畑に入って一斉に芋を掘る作業を楽しんでいる姿を見るにつけて「まあ、今日が楽しいなら良いか」と思わなくもないが、本音を言えば何よりも一番にそこの部分を子ども達には解ってもらいたいし、また許されるのであれば親御さん達もこの事の意味を家庭でしっかり話して頂きたいと切に願うものである。なんでもお金を出せば買える時代だ。本当の意味での労働の大切さや、物の大切さは埋もれてしまっている時代である。しかし物の豊かさ以上に大切な事もある事を本当はこんな小さな事からでも子ども達に理解してもらいたい。等と難しい事を言ってはいても、これでも結構友達の多くなった小学生たちが無邪気にはしゃぎながら、また美味しそうに取れたてのお芋を蒸かして食べている光景を見れば「これもありだよな」と思ってしまう。これが私だけの感情ではなくて、この日の為にお集まりいただいた高齢者の方の多くの意見である事を象徴するように、皆さん大変機嫌よく笑顔で過ごされていた姿も印象的だった。土に触れる事。食べ物の大切さを知る事。世代を超えて共同で作業をすることの意義。これらの全てを学べる貴重な時間だったと思う。貰ったお芋は大事に、今日の思い出を話しながらお家で食べて下さいね!!みなさん大変お疲れ様でした。ごくろうさまです。そして、ありがとうございました!!
2014年11月15日
桜ヶ丘公民館花いっぱい運動
年に二度必ずある作業なんだが桜ケ丘自治会では春日市が行っている「花いっぱい運動」を何処よりも完全に行う為に、花を植えるためのプランターの土を毎回すべて篩にかけて新たの肥料を混入し、土の中にある細かな根などを捨てて、新たに届く季節の花を美しく咲かせるための作業を有志の方々で行っている。このメンバーに何故か私の名前がしっかり入っている!!
いや、ここで明確に言わせて頂くが、それは自治会の作業は一年を通して様々なものが実際にあるが、その中でも肉体的なきつさと言う点で言わせて頂けば、この作業は正にダントツのナンバーワンだ!!50はあるプランターを全て運んで人歴で篩にかけ、再びプランターに入れ返して花壇に設置する。とてつもない重労働だ。作業をやっている間もとんでもない疲労に襲われるが本当の意味でこの作業の恐怖を知るのは翌日以降だ。まあ、体の節々が痛い事痛い事・・・まぁ嘆くべきは日頃からの運動不足であろう。いつも思うが、本当にこれ程の重作業を大変失礼な言い方にはなるがご高齢者の皆様にして頂くことは忍びない思いで一杯である。50歳の私が一番の若手では本来はいけないのだ。さりとてほかに人がいないのも明確な事実であるし・・・働き盛りの世代に「会社を休め」と言えるはずもないし、さりとていつまでも高齢者に寿作業をさせる訳にもいかないし、この辺りこそが自治会活動の本当の意味で抱えている問題点であるのかも知れない。今は唯有志の皆様に頭の下がる思いである。大変楽しい打ち上げにも参加させて頂いて気力は充実している。あとひと月もすれば公民館の前は春日市の花々で彩られる。どうか一度見に来てください!!
皆さん、本当にお疲れ様でした!!
2014年11月12日
桜ケ丘自治会文化祭
桜ケ丘自治会では一年ごとに運動会と文化祭を交互に開催している。今年は文化祭の年だ。これは普段公民館で開かれている様々なサークルに於いて鍛錬された其々の技能を発表する機会になればと始められたのだと言う。間違いなく発表の機会があるのと無いのとでは気合の入り方も違ってくるのが人間の性であろう。その意味では日々の活動にもより一層力が入るであろうからこういった場の提供は非常に有意義である。
数日前から作品展示のための準備を整え、前日には最終的な会場作りが行われた。また町内の有志の方々が習字や陶芸、絵画編み物に生け花と言った様々な力作を持ち寄られ公民館の雰囲気は一気に文化祭モードに突入していく。
当日は早朝から最終的な準備を行い町民の為の焼き鳥やお芋などの準備もされた。これで完全にお祭りモードだ。会場では多くの出演者たちが出番を今や遅しと手ぐすね引いて待っている。舞台での出し物で一番多かったのはやはりカラオケ同好会の歌の疲労である。日頃鍛えている喉を如何なく発揮されている。ただ、大変残念なのはきっとカラオケの練習が進み過ぎているのであろう。教室に通われている人たち以外は一切知っている人がいない歌ばかりが唄われ続けたことではあるがまあこれもお祭りと言う事で良しとしよう。
私はと言えば例年通りに表で焼き鳥をただ焼き続けていた。まあ、これはもう慣れたものだ。中学生も多く手伝いに来てくれていたがなかなか頑張ってくれていた。焼き鳥を手伝ってくれた女子中学生が「大変そうですから」と言って自分で買った焼き鳥を私にくれた時には可愛くて抱きしめたくなったが、こういう愛情表現を実際行うとどんなセクハラ騒ぎになるかもしれないので控えておいた。いや、本当にいい子もいるものだ。文化とは人間が社会的な総体に於いて行う行為の全てであると言う解釈もある。多くの人が公民館と言う、最も身近で公共性の高い場所に集い、そこで何かを共同で行う。これはもう即ち文化であるのだ。もしかすると高尚ではないかもしれない。だが、現在に於いてそれは問題ではない。人々が集う事、それ自体が何よりも意義のある事であろう。多くの町内の方のご協力で、これほどのイベントが成功している。この文化を今後も守って頂きたい。関係者の皆様、何日もかけた御準備も含めて本当にお疲れ様でした!!ありがとうございます!!
2014年11月10日
桜ケ丘松寿会研修旅行
私のホームページに度々登場する市内最大の老人会、桜ヶ丘の「松寿会」では年に二度、一度は日帰りで、もう一度は一泊で研修旅行を行っている。当然の事であるが「研修」と言いつつであるが何よりも親睦が目的である事は言うまでもない。今年の秋にはこれまでの念願であった関門海峡を越え遠く本州までの旅行を実行することになった。行程的には福岡を午前中に出発しひたすら高速を突っ走り山口県の萩市はもとより遠く島根県の津和野にまで足を延ばすと言う若干過酷なものである。参加者は35名。いや、皆さん本当にお元気である。このツアーに大変有難い事に私もお誘いを受けた。当然の様に一も二も無くご一緒させて頂きたかったのではあるが、当日は「議員研修」と言う公務が入っており昼間はどうしても参加できない。ならば「夜に車で来ればいい」と言う何とも有難い言葉を頂戴したので、研修狩猟後一路高速を東に走らせて宿泊地で合流をさせて頂いた。宿泊地である山口県の湯元温泉に辿り着いたのは御宴会の始まる午後6時半5分前。いや、駆け込み乗車ってのは聞いたことがあるが駆け込み宴会ってのは初めてだ。まあ、我ながら厚かましい宴会への乱入の仕方であると若干気持ちは引いていたのであるが会場に参上させて頂くとまあ多くの方に喜んで、尚且つ慰労までして頂けて嬉しい限りであった。久々に旅行会社の添乗員さながらに皆さんに御酌をして回り楽しいひと時を過ごさせて頂いた。
翌日はお昼までバスに同行して風光明媚で知られる山口県青海島に立ち寄った。まあ、海の綺麗さに感動する事しきりだった。許されるのであれば選挙前の気持ちの落ち込んでいる時ではなく選挙後の心にゆとりのある時に訪れたかったとは思っている。間違いなくハードな行程であったので皆さんの体調が心配ではあったのだが、これは全くの杞憂で、まあ、皆さんのお元気で楽しんでおられる様子が見ていても嬉しい限りだった。
御挨拶もさせて頂いた。市目の万歳三唱もさせて頂いた。加えて皆様から大変有難い、加えて暖かいお言葉も沢山頂戴した。根にも出来ていないと反省ばかりの日々であるが本当に有難い限りだ。気忙しい時期に車での往復の中距離は確かに肉体的には辛いものがあったが気分としては正に最高の状態である。皆さんの温もりを抱きしめてこれからも頑張って行こうと言う鋭気を養わせて頂いた。中途参加と言うご無理を聞いて頂いた会の皆様に心から感謝を申し上げる。本当に有難うございました。またよろしくお願いいたします!!ありがとうございます!!
2014年11月06日
老松宮秋の例大祭出席
昨年も参加させて頂いたが地域の真珠のお社である老松宮の秋の例大祭にご招待を受け参列させて頂いた。前日からしめ縄の入れ替えなど氏子さん達が総出で当たられ準備万端整えて頂いた。大祭自体は祝詞が挙げられ直来では皆さん和気藹々と時間を過ごされていた。
現在世界各地で起きている紛争の中で最も多くの人命が奪われ収拾のめどが立たないものの多くは宗教に根差したものである。本来人を救う意味で人間の心から自然発生的に発展してきた宗教が人を殺す際の大義名分として利用されている事は皮肉な話である。これらの宗教は本質的に一神教によるものだ。唯一無二の神しか認めないその考え方の根本にあるのはある意味他人の考えも非常に制約してしまうそんな教義であると言える。しかし大変幸いなことにこの国における宗教の本質は多神教である。いくらでも何人でも神様がいてそのそれぞれに敬意を表することが出来る寛容さをこの国の人間は気質として持ち合わせている。この事の意義は非常に大きい。宗教は時として道徳であるしその国の文化や風俗だ。ここに多様性を持ち合わせている事の幸さを私たちは今一度認識すべきであろう。路傍の名も無い地蔵様を見て手を合わせ敬う姿勢が人と人に広がって行けば本来争いなど起こるはずもないのだ。地域にある小さなお社は、その大きさに関係なくその地域の心の安寧をいつしか担ってもいるのだ。これを守って頂けている地域の人々に私は心からなる敬意を感じる。漠然と、それこそ何気なく手を合わせる場所がある事の幸運をこの国の人は再度認識すべきである。当然の事であるが歳神様をお迎えする新年に向けてお宮の行事も増えてくる。また私もお手伝いを続けて行く。関係者の皆様本当にご苦労様でした。ありがとうございます!!
2014年11月02日
春日北小学校「北っぴい祭り」お手伝い
早朝に資源回収のお手伝いをしたその後は毎年開催される春日市立春日北小学校のPTA主催による「北っぴ祭り」のお手伝いに伺わせて頂いた。議員になった最初の年に地域のお母さんから「人手が足りないので手伝いに来て」と言われて以来もう4年間「おやじの会」のブースで焼きそばを焼くお手伝いをさせて頂いている。本当にありがたい話である。
こういう事を言うと本来はお叱りを受けるのであろうが、私は実の娘の小学校、中学校時代にただの一度もPTAの行事等のお手伝いに行ったことが無い。いや、実際に興味が全くなかったのだ。と言うよりも以前私が棲んでいた土地ではここまで地域が真剣に学校教育に関わる機会が無かったのも厳然たる事実であるのだ。その意味では本当にこの地域の方々は凄いと思うし、はたと我が身を振り返れば反省する事しきりの私である。本当に多くのPTA役員の保護者の方が早朝から子ども達を喜ばせる為に多くの労力を惜しまずに様々な工夫を凝らして働かれている姿は正に頭の下がる思いである。大変有難い事にすっかりおなじみになった焼きそばのメンバーの方々と私もちょっとでもお役に立てている事を嬉しく感じている。
少なくとも私が子どもの頃にこういった行事は無かった。これは良い悪いの問題ではない。社会情勢がそして子供を取り巻く環境の全てがあの頃とは激変しているのだ。はっきり言うと私は昨今の余りに親が学校行事等に駆り出される光景にはある種の違和感を覚える。この行為の根底に学校の責任逃れが若干透けて見える気がするからである。しかし、学校がそうせざるを得なくなった、例えば尋常で無い程に躾を放棄したような親の存在がそこにあるのも事実である。以前の常識では計り知れない教育環境に現状があるのであれば当然それに関わる者たちの気持ちも変わっていかざるを得ない。その意味では理屈では分かっていてもまだまだ根本的な部分では私は未だに現在の教育行政の課題に追いついていないのかも知れない。ただ、少なくともこの日ここで拝見させて頂く限りにおいて親御さんは常に真剣に子ども達の健全な成長に心を尽くされているし、その実現のために全く骨身を惜しんでいない。この姿勢は見事である。そしてこれは私に言わせるとすごく特別で凄い事なのだ。問題はこれを以前も言ったが子ども達が当たり前と取るのか有難い事だと受け取るのかである。情報が多すぎるが故に子ども達はそれに良いように流される。そして親はそれに翻弄される。親が抱えている葛藤に子供が気付く機会があればきっと子供たちも変わって行けるのかも知れない。等と言う事を考えながらひたすらこの日は焼きそばを焼くことに終始させて頂いた。まあ、期待を込めて言うのであれば「大丈夫!!子供は親の背中を見ている」と言う事になるのであろう。全てのご父兄の方々はじめ関係者の皆様、本当に大変お疲れ様でした!!大変素敵な時間を共有させて頂きましてありがとうございます!!
2014年11月01日
早朝の資源物倉庫搬出作業
二ヶ月に一度必ずやってくるのが資源物倉庫の搬出作業である。この作業非常にしんどい。いや、普段やっている資源物回収に比べると量もたかが知れてはいる。まあ、そこそこ一杯になった5つほどの倉庫から回収車に資源物を投げ込むだけなので体力的にはどうと言う事は無い。
ただ、問題なのは尋常で無く朝が早い!!いや、当初は朝7時からの作業であったのだ。それがついつい熱心な町内の方々の熱意の為に6時半に少しずつ早まっていき、今では6時くらいには皆さん集まって作業を開始している。これがそのまま続けば間違いなくこの作業は夜中に行なうことになってしまうぞ!!
冗談はさておき、兎も角いつもの事ではあるが皆さんの熱心さには心から感心させられる。朝が弱い私はどうしても最後の出勤になるのであるが、それでも「ありがとう!ご苦労様!!」と言って頂けると言う恵まれ方だ。なので、ちょっと、倉庫の中を綺麗に掃除すると言う普段しない作業をしておいた。
いや、選挙に向けてのポーズではない。・・・いや、若干それもある。ともあれ、多くの町内の方が多くの資源物を出して頂けることは即ち、自治会の運営が豊かになる事であるし資源の有効利用につながる一挙両得の話である。間違いなく朝が早いのは根がぐうたらな私にはとても堪えるが出来る限りのお手伝いはさせて頂く。邪魔と言われているかも知れないが・・・関係者の皆さん、本当にいつもご苦労様です。お疲れ様でした!!
2014年10月22日
桜ケ丘老人会にて
いつもいつもこの町の老人会の方々にはお世話になりっぱなしである。なので小さな事からでも恩返しをと思い公民館前の広場の花壇の整理をお手伝いしていたところ、いきなり公民館内の和室に拉致されて普段であれば絶対に口にしない様な高級焼肉を御馳走になってしまった!老人会長の私費・・・
なんじゃこの恵まれ過ぎた環境は!?罰が当たるわ!!
と言う事で、今度こそ本気で恩返しをしようと老人会の定例化の机や椅子並べをお手伝いしたところ、今度は「挨拶をして行け!」とこれまた半ば脅迫めいた有難いお言葉。しかし、当然の様に格好も唯の作業着だし、加えて何の挨拶の原稿も考えてない。なので何の突拍子も無く「セカンドオピニオン」について話し出してしまった。いや我ながらこれ程乱脈無くていいのか?内容はと言えば自分の母親の実体験をもとに「日本人はついつい今掛かっているお医者さんに悪い」と言う感情が働いて病気の原因を見逃すことがある。しかしお医者さんにも当然得手不得手があるのでどうか遠慮しないで真相究明の意味も含めて薬が効かないな等と思われたら違うお医者さんに試しに行ってみてください、と言いう話だ。これが何故が尋常で無く皆さんの関心を呼んだらしく、ある方からは「これまでの話で一番良かった」と、ある意味これまでの私の活動を全否定されるような褒め言葉まで頂いてしまった。で、その後は又皆さんと楽しいひと時を・・・
ってダメじゃん!!なんの事は無い又楽しんでますがな・・・いや、どうしても私としては皆さんのお役に立ちたいと言う気持ちがあって動いているつもりなのであるが、私なんかよりも皆さん遥かに人間の器が大きくていつも私が楽しませて頂いている始末だ。いや、こんなことではいかんだろう!!と思いつつもなかなかこの居心地の良さから抜け出せない私である。猛烈に反省すべきだな・・
2014年10月21日
桜ケ丘福祉サロンバスハイク同行
桜ケ丘地区では75歳以上の現在故在って伴侶がいらっしゃらない方々を原則対象に月に一度「福祉サロン」を実施している。ともすれば外に出て谷人と触れ合う事をしなくなりがちな方々にとってこのサロンの持つ意味は極めて大きい。別に取り立てて何もしなくても、そこに仲間とともに集うそれだけで十分に意義のある事業である。であるのに、この地域の非常に熱心な民生委員さんや福祉部の方々は、いつでもそれ以上にご高齢者の皆様に喜んでいただこうと趣向を凝らしているから頭が下がる。この月も皆さんに楽しんで貰おうとバスハイクを企画されていた。当初私は予定が重なりご一緒できないと思っていたのであるが、いい加減な幹事の所為で体が空き、随伴する車が無かったようであるので皆さんが乗ったバスを追いかけてくるまで帯同させて頂いた。一応念のために言っておくが、これは途中で気分等が悪くなられた方が出た際の救急車両の役割であり、何も自分もちゃっかりご相伴にあずかってドライブを謳歌してきたわけではない。それが焼香に出発の段階から連ら鵜野採れない参加者がいらっしゃり、その方の安否確認をする係りの方をしっかり第一目的地まで送るまでお運びすると言う大役を果たし太。まあ逆の言い方をするとこれがあったが故に周囲からも「わざわざごめんんさいね」と感謝されることになった訳で、あとはしっかり景色を楽しみながらドライブさせて頂いた感は否めない。
目的地は自然豊かな糸島半島。途中県内でも有数の売れ行きを誇る道の駅にも立ち寄り多くの方がお買い物を楽しんでいらっしゃった。当日は天気が良かったのだが、数日台風の影響海は荒れており漁船が出せずにいたために、大方の人たちの楽しみであった新鮮なお魚にはあり付かなった事は残念ではあるがこれは仕方ない。それでも十分皆さん愉しんでおられたようである。また昼食時には時間が随分とあったので町内の方々と御話をさせて貰える機会にも恵まれた。これも私にとっては大変貴重な時間で有難いばかりだ。
冒頭にも言ったがこれから否応なく高齢化社会は押し寄せて伴侶のどちらかがと言う方も当然の様に増えてくるであろう。この時に何よりも戦わなければならないのが孤独だ。これに決して負けてはならない。その為にはやはり地域全体が繋がりを深めてこれに立ち向かえる準備をしておかなければならない。その意味からしてもこの町の皆さんの使命感は極めて崇高で気高い。本当に行政や議員など「なにをやっているのか?」とお叱りを受けそうである。いつもそうで大変申し訳ないが、私も出来る限りのお手伝いをさせて貰うつもりでいる。そしてその中でまた勉強もさせて頂きたい。到着された時の皆さんのお顔が何よりも物語っていたが、本当に楽しく充実した事業でした。関係者の皆さん、本当にお疲れ様でございました。ありがとうございます!!
2014年10月08日
夢育みキャンプ報告会開催
8月の個人活動の記事でも紹介させて頂いた「春日市夢育みキャンプ」の報告会が先日開催された。何度も言うがこれは別に行政が行った事業ではない。あくまでも有志の方が地域に住む子供たちの健全な育成を願い、併せてこのキャンプに参加する事で若者たちのボランティア精神や今後の少年指導に活かせる人材を育てようと言う極めて志の高い自主的な活動である。
と、私はいとも簡単にそれを書いているが、実は心の底からこの行為と言うかこの事業を思いつかれた経緯や準備、加えてこれを実行するために要したであろうご労苦を思えば、これでも一応行政の末席に携わり、加えて議員と言う本来であれば地域の声を汲み上げてそれを実行する為に骨身を惜しんではならない人間からすると、正にかける言葉も無い程に、と言うよりも言葉など書ける資格も無い程にこの事業の持つ意義は大きく深いし、唯々頭の下がる思いである。はっきり言おう。ならばこの事業が私でできるのかと問われれば「すみません、できません」と即答するほどに途方もない事業を全く有志の方だけでやり抜かれたのだ。この事がどれほど称賛に値するかは明言しておかねばならない。
この日の発表でも多くの写真と共にその様子が映し出されていたし、私も実際にその場に足を運び見学もさせて頂いたが、子ども達があの土砂降りの雨の中で多くの事を学んだのは紛れもない事実であろう。加えてこのキャンプに参加した大学生の若者たちも間違いなく得るものが多かったはずである。行政は常に即効性で結果の出るものを求める。その意味で言えばこういった事業の成果は確かに出にくいのかも知れない。実行委員の皆様を動かした最も大きな部分は、先程も言ったがその崇高なる理念であり熱意であろう。しかし世の中それだけでは動けないものもある。当然先立つものも必要であろうし、それ以上に周囲の大いなる理解も絶対に必要であろう。有意義な事業であるが故に多くの人々に理解して頂く努力も必要になろう。分野分野でお手伝い出来る事がある。私自身もお手伝いできることを探して今後の応援を続けて行きたいと切に願っている。報告会まで含めて大変素晴らしい企画の締めくくりであった。と言うよりも本当に多くの事を実行委員の皆様の姿勢から教えて頂いたそんな素敵な企画でした。得難い経験を積んだ子ども達の今後も楽しみだ。
実行委員の皆さん、本当にお疲れ様でございました。
ありがとうございました!
2014年10月05日
九産大同窓会楠風会福岡県地方本部総会
3年前までは本部の役員をしていたこともあって毎月必ずどこかの総会に出席していたが、理事を退いて以来年に数回しか大学同窓会の集まりに顔を出さなくなってしまった。これは宜しくないと思いつつも経った数年間の間に顔ぶれも大きく変わっている事もあり余計に足が遠のいてしまう。しかし、絶対に逆らうことが出来ない大先輩から「出てこい」と言われてそれを袖に出来るような根性は私にはない。「喜んで!」出席させて頂いた。大変お世話になっている大先輩ばかりで、こんな私でもこれほど緊張する場面は滅多に無いと言って良いほどに恐ろしいばかりだが、人間たまにはこういった緊張感も必要だろう。
当日の参加者は約100名を軽く超える程。本当に現在の役員の皆さんがこの活動に真剣に取り組んでおられることが手に取るように解る。後援会や現役の学生の出席もあった。これも大変喜ばしい事だ。だが、大変申し訳ない。捻くれ物の私としては当日物凄く不満があった。先程いったように現役の学生もこれに出席している。これは現役の頃から社会の一線で活躍されている大先輩たちとふれあい今後の社会人としての生活に生かして頂きたいと言う思いからスタートしたものだ。だが、今年の学生たちが積極的に先輩たちと名刺交換する姿を私は殆ど見ていない。いや、確かに現在は就職絶頂期とも言われるくらいに大手企業も人手不足を解消すべく積極的に求人に取り組んでおり、これ以上無い程の売り手市場であろう。何もここで下げなくていい頭を下げて強面の先輩たちに気を使う事も無い。と、いくら内心で思っていても良い。だが、こういった場所に出てきた以上はその趣旨を徹底させて学生にそうさせるべきだろう。これが出来ない大学の姿勢に甚だ失望する事しきりだ。良い時は良い。だがこんな社会情勢が長続きするはずもない。人は見ている。こういった点こそ私が理事の時代に常に大学に対して言い続け、そして嫌われた理由だ。ちっともあの頃と変わってない。つくづく私は捻くれものであると思う。だが、自分の母校が3流のままである事を良しとしないのは卒業生であれば当然だろう。母校が立派であるために周囲が何を言うべきか。この本質を見失ってはならないはずだ。大学を盛り上げようと考える卒業生たち。それをどこか迷惑がって表面上だけ感謝する姿勢を見せる大学側。そりゃそうだろう。大学は既に一流だと思っていらっしゃるのだから。そんなギャップを今一度強くする光景であった。まあ、現在唯のゲストの私にそんなことを言う資格も無い。実際同窓会はこれ以上無い程に頑張っている。どうか母校を厳しい事も言って正しい方向に導いて頂きたい。そう強く願うものである。ともあれ、大変充実した楽しい再会のひと時だった。役員の皆様はじめ関係者の皆様お疲れ様でした!!またお世話になります!!
過去の個人活動へ
このページの先頭へ
ナビゲーション
トップページ
TOP PAGE
政策目標
CONCEPT
活動報告
SERVICE&PRODUCTS
お知らせ
NEWS&FAQ
プロフィール
COMPANY
後援会案内
RECRUIT
お問い合せ
CONTACT US
春日市議会
GIKAI
バナースペース
さかき朋之 後援会事務所
〒816-0872
春日市桜ケ丘6丁目55-602
TEL 092-581-1200
FAX 092-581-1202